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人間の街 大阪被差別部落

taj********

3.0

「食の安全」の時代に―いただきますの心

 一連の食品偽装問題で、「健康に問題はないが、倫理上問題だ」といって回収する例が続きました。戦中派の父に育てられた身としては「捨てるならタダでくれよ」と思うのですが、結局は菌ではなく、安心感を欲めてやまない人間側の問題だと思うわけです。人が保証(「見える化」)するだけでひと安心。この心境の源流がBSEだとすれば、映画ができた86年とはまったく別の理由で、食肉処理場に安全面での「見える化」の必要性が高まっているように思います。  まったく別の理由というのは、昭和の屠場の語りといえば、必ず部落問題から接近していたからです。本作「人間の街 大阪・被差別部落」もそうで、その経緯は同和対策審議会答申(1964年)20周年を機に部落解放同盟と全国の教育委員会が制作を依頼した、というものでした。  長らく被差別民が食肉・皮革業を担ってきたのは常識でしょう。職業蔑視と部落差別が一体化して、本作の舞台、大阪府松原市旧更池村地区のように、差別から部落民は食肉産業に就職が限られ、それが差別を再生産する構造が続いてきました。屠場で牛皮剥がしに従事する浜口さん、小学校の教室でこう訴えていました。  「誰かが殺さな、食べていかれんねん」  この言葉、僕は二重の意味を読みます。もちろんひとつは、屠る人がいるからお肉ができるという意味。第二に、おそらくより重要なのは、殺すことでしか「食べていけない」、つまり生活のためには屠場で働くしかない実態を示していたことです。  このように「目に見える」差別が続いた昭和を経て、部落のぽろ家は立派な市営アパートになり、外見上周囲と見分けがつかなくなりつつあります。概念として部落を知っていても、実際どこにあるのかわからないかたも多いのではないでしょうか。これはもちろん喜ばしいことですが、かつて空間的に被差別民が実体化し、かつそれが部落解放運動の積極的対象として有効に機能していたことを考えると、平成になって部落問題はむしろ「見えない化」していったともいえます。  「見えない化」弊害の例が、近年大阪でおきた某社の食肉補助金制度悪用事件。この会社は本来社会的実在である部落問題を同和利権として私物化し、社益のために差別を利用(!)していました。この事件で怖いのは、部落出身の社長が差別を私用したことで、「被差別民」による被差別民の二重差別を生んでいたことです。  そういうわけで、同和利権に関するその他の実態も判明しつつある現在、22年前のドキュメンタリー映画のように部落差別を一面的に描くのには限界があると思います。内澤旬子さんがいうように、食肉処理場というスマート(?)な屠場には、被差別民以外の従業員も多いとのこと。このなか、BSEをきっかけに突然、世間から屠場へ(再/別)アプローチが始まりました。  偽装事件報道で部落問題に触れるマスコミはまずないようですが、差別の歴史があったということはこの先も知るべき事実だと思います。森達也さんの思考に拠れば、僕らの社会は(自給自足でない限り)他者性を前提に成立していて、僕ら一人ひとりが国家や食品業界の制度に支えられて生きているからこそ、本来第三者たる「普通の」日本人が、これまた一種の制度であるところの部落問題にアプローチできる、むしろ積極的に関与すべき理由をみるからです。さらに、こう考えることで、差別解消も食品安全も「お上(行政)がしてくれる」という「もらい手意識」から僕らが脱却し、主体的に行動する理由もうまれるのではないでしょうか。  ところで、当初本作の撮影を一部団体は断ったそうです。従来のマスコミの報道姿勢を疑っていたからでしょう。そこで制作クルーが採ったのは、「まずは撮って、公開可否は取材対象者自身に決めてもらう」でした。結果は公開可だったのですが、その決め手は小池征人監督いわく「撮る姿を彼らに見せることで納得させた」でした。このように、警戒心の高い調査対象に飛びこむとき、この方法はいろいろな分野に応用できます。僕が農村調査に入るときも、まず測量をまる一日やって、姿を村人に印象づける戦略を採っています。  さいごに、食品の「見える化」欲求とはつまるところ、「つくる人」と「食べる人(僕ら)」の心理的な距離を縮めるこころの動きだとも思います。生協や産直にこだわる一部の(奇特な?)消費者は別として、距離をなくす方法、ひとつだけあるのでは。  それは、「いただきます」のひとこと。  (また生意気なこといいやがって、ていう文句はパス)  外国人に意味を聞かれるといつも、僕は「この食べ物に関わってきたすべての人、自然、そしていのちに感謝するあいさつなんだ」といいます(英語が伝わったかは知らん)。「いただきます」のたった6文字で、日々の食事の立役者全員が「見える化」すればこんないいことはない、と思っているわけです。

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