親鸞 白い道
あらすじ・解説
解説:allcinema(外部リンク)
作品レビュー(4件)
- shoko
3.0点
実家のお墓が浄土真宗大谷派のお寺にあって、お墓参りのたびに、親鸞聖人の像をみます。 物心ついた頃からお仏壇にむかって「末代無智」のお念仏を唱えていたから、今も暗唱できるのに、浄土真宗の開祖・親鸞聖人のことって、全然知らない、、。 キリストもマルティン・ルターも日蓮の話も映画でみたのに、親鸞聖人の映画ってないのかな〜と漠然と思っていたら、ありました! 1987年に三國連太郎さんが「白い道」というタイトルで製作していたではありませんか。 さっそく鑑賞。 映画のクオリティはとても高いですね。俳優さんの演技も時代考証も背景もカメラもすべてハイクラス。 問題は学びたい、知りたい、という積極的肯定的な姿勢でこちらがのぞんでも、やはりわかりにくいストーリー。いいたいことの真髄はこういうことなんだな、と全体を感じるつもりでみていればいいのですが、それぞれのシーンがこの人は誰で、どうなったの、というのはわからないことが多くて、これはある程度、なにがおこったのか知っている人でないと、理解してついていくのが難しいです。例えば、あの水の中に沈んでいるような若い女の人にはなにがあったの?とか。 三國連太郎さんの原作を読んでいれば、あぁこのエピソードだな、というのがわかるのでしょうか。 親鸞について語るのは三國さんのライフワークだったようなので、きっと盛り込みたいことがたくさんあって、たとえ半生といえども140分におさめるのは厳しかったのでしょう。 でも本作は伝記映画であると同時に、「中世の下層社会に生きる賤民といわれる人々を、精密な考証にもとづきリアリティ豊かに活写した日本映画市場稀に見る歴史&風俗ドラマとして、かけがえのない価値を持つ作品」だと書いてある文章を読みましたが、私もそのとおりだと思います。 私はこの映画をみるまで三國連太郎さんのことをよく知らなかったのですが、その生涯をみるとなんとすさまじい。戦争体験における死生観や、彼自身賤民の出身だとカムアウトしたという差別に対する意識など、自身の体験にもとづいた重みがこの映画に感じられます。 「仏の前に人間はすべて平等である」と説く人間親鸞の求道する姿は、三國さんの姿でもあるのかも。 白い布で顔をかくした犬神人・宝来のキャラクターは全編を通して強い印象を残しますが、それを誰が演じているかわかった時、親鸞をとおして、三國連太郎さんの伝えるメッセージが理解できたような気がしました。 そして今まで音だけでとらえていた「末代無智」の念仏も、この映画のおかげではじめて意味をもつようになりました。
- pin********
3.0点
昨年(2013年)に亡くなった、三國連太郎氏唯一の監督作品。 三國連太郎氏は演ずるのではなく、あくまで監督。 ちらりとくらい顔を見せるかと思ったのですが、とうとう最後まで登場することはありませんでした。 なぜ三國連太郎が親鸞を題材に映画を作ったのか。 彼の出自の問題なのか、信仰の問題なのか、そんなところに興味があって見た… はずだったのですが、体調のせいでしょうか、最初の10分ほど眠くて眠くて…その後も、少し見てはうつらうつら、少し見てはうつらうつら…。 初めの部分がわからないと、後半いくら頑張って目を凝らしても時代的な背景も人物関係もさっぱりわからなくなってしまいます。 親鸞が何故追放され苦労しているのか。 なにゆえ唐突に被差別部落の人が登場してくるのか。 親鸞と言えば浄土真宗の開祖、…その程度の事しか知らない不信心者には「?」ばかりが続きました。 彼の教えがどのようなものなのか、そして、三國連太郎がなぜをそれを題材にしようとしたのか。 申し訳ないのですが、よほど興味のある人か信仰心に篤い人ででもなければ、見続けるのは苦しいかもしれません。 映画愛好会のホール上映で見たのですが、近くの席の人からも「難しかったなあ…。」という声がしきりに聞かれました。 三國氏の著作や、浄土真宗に関する本を読まなきゃ分かんないかもしれませんね。
- kih********
5.0点
「疑っても疑っても壊れない信心が欲しいと思われるなら、共に御仏の声を聞いてみませぬか。」と善信(親鸞)はいう。これがこの映画の製作意図であったかと推測する。 「疑っても疑っても…」「共に御仏の…」これは「聖」人の言ではなかろう。普通の「人」の言い草だ。普通のでなければ、今風にいえば実存主義者の思想だ。「共に生きる」=「共生」の考え方は今や一般的な規範にもなっている。「共に喜ぶ・共に悲しむ」という聖書の教えも今ではキリストの教えではなく、世界の共通のものになっている。 親鸞の前半生を、伝道者というより求道者、宗教者というより実存者として描きたかったのだろう。三国監督に共感する。 仏教徒でもない私がこの作品を観ることになったのは、三国連太郎氏の訃報を聞いたからだった。代表作品紹介に「企画・製作・脚本・監督」とあったので、さっそくこれをレンタルした。ところがいつまで経っても画面に三国さんが出てこない。勘違いだった。主演ではなかったのだ。でも、良かった。役者・三国ではなくて、映画人・三国を披露してもらった。そして、人間・善信に会わせてもらった。 このところ連続して乱世のシリアスな映画を見続けて少々疲れた。気分転換にスーさんと魚釣りに出かけることにする。
- tangodelta987
4.0点
1987年製作の映画のDVD化 監督は何と釣りバカのスーさん もののけ姫の描く世界とよく似ています 鎌倉時代ですので鉄砲はまだですが、粒金をお金として使っている場面 たたら場の場面 ハンセン病患者 賎民 あとヤックルと猩々が出てくればパーフェクトです セレブを描く大河ドラマの中では滅多に見られない一般人民の生活水準、藁にくるまって寝て、草を束ねた屋根、隙間だらけの掘立小屋にすんでいるのがリアルです 言葉が聞き取りにくい 登場人物が歴史的名称で出てくるので予備知識がないと話の背景がちんぷんかんぷん DVDの日本語字幕表示必須です 肩のこらない娯楽映画とは言えない作品ですが親鸞の教えが次の言葉で語られており、今の世の中において、とてもとても意味深いことのように思えます 世の中のことが己の思い通りにならないからといって、神や仏に祈るということは人間の迷い心そのものです そうした迷いから目覚めることなのです 御仏は今を生きるよりどころをきっと浄土と名づけられたのです 法然どのは、我が命をを尽くすことのできる道に立つことこそ 救いだと申されました 仏法における救いとは決してこの現世をすててより良い来世を待ち望むことではなかったのです ほんとうに我が身を尽くすことのできる道に己を立しめる 往生とは新しい生き方が始まるということなのです ちなみに、浄土真宗の門徒は南無阿弥陀仏を唱えることで、浄土が約束されているので冥土の心配はありません よってお葬式でご冥福をお祈りしてもらう必要はありません 49日の法要のお勤めがなければ地獄に落ちるということもありません むしろ生きているときに仏の教えを守ってしっかり生きることを求められる宗教のようです 信長と対峙した石山本願寺は仏教における原理主義者集団だったように思えます
スタッフ・キャスト
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受賞歴
カンヌ国際映画祭第40回