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二十四の瞳 (1987)

監督
朝間義隆
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  • みたログ 90

3.89 / 評価:28件

「田中裕子の大石先生」

  • hoykita194 さん
  • 2008年10月14日 18時07分
  • 閲覧数 1797
  • 役立ち度 9
    • 総合評価
    • ★★★★★

 原作(1952年発表)では、大石先生が岬の分教場に赴任するのは、1928年(昭和3年)のことだ。
 大石先生は、師範学校を卒業したばかりの新卒の小学校訓導である。男の子5人、女の子7人、合計12人の新入生の受け持ちになる。
 子どもたちはすぐになつくが、洋服で自転車通勤するおなご先生は、村ではハイカラすぎて、何かと冷たい目で見られたりもする。
 なんと、赴任したその年に、おなご先生は、悪童たちが作った落とし穴に落ちてアキレス腱を切ってしまい、学校に行けなくなってしまう。結局、翌年度から、自宅からバス通勤が可能な、本校勤務になる。
 分教場の生徒たちは、5年生になって本校通学になり、懐かしいおなご先生と再会を果たす。2年後、生徒の卒業と同時に、おなご先生は結婚し、戦雲立ちこめる時代の中、生徒を戦争に駆り立てる教育がいやになり、学校も退職する。
 1934年、昭和9年のことだ。
 小学校の義務教育を終えて、12人の生徒たちもそれぞれの道に散っていく。

 小豆島の自然、瀬戸内海の穏やかな海が、美しい。
 しかし、1931年の満州事変を皮切りに、時代はすでに中国との十五年戦争に突入している。1941年には、太平洋戦争が始まる。
 戦後、1946年、おなご先生が岬の分教場に再度赴任するのを祝って、あの子どもたちがささやかな宴席に招待してくれた。懐かしい再会だ。しかし、再会を果たせたのは、12人の子どもたちのうち、7人だった。
 
 「二十四の瞳」は、原作者の壺井栄の時代の切り取り方に、大きな意味がある。それは、見事な切り取り方だと思う。昭和3年から昭和21年という、この時代の切り取り方が、たくさんのことを語っている。
 そして、この映画は、田中裕子の大石先生がすべての作品だ。
 逆に言うと、原作と田中裕子の存在が、あまりに大きい映画だと思う。
 映画の作り手は、原作と田中裕子に寄りかかりすぎてしまっている。結果として、映画の作り方にあまり工夫が感じられない。大石先生以外の登場人物の影が薄すぎる。男先生の坂田明、校長先生の松村達雄、よろず屋のあき竹城、大石先生の夫の武田鉄矢、母親の佐々木すみ江など、使いようでいくらでも味が出る役者を、生かし切れていないと思う。
 12人の生徒も、それぞれの個性が十分に生きていない。
 田中裕子は1955年生まれなので、映画撮影当時32歳である。新米先生として岬の分教場へ赴任するのだが、本当に初々しくかわいらしい先生で、少しも違和感がなかった。
 大石先生のことば、ほんのちょっとした仕草や表情の動きが、この映画の縦糸であり横糸だと思う。それが、この映画に命を吹き込んでいる。
 田中裕子は、すごい役者さんだ。あらためて、そう思った。

詳細評価

物語
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