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ゆきゆきて、神軍 (1987)

監督
原一男
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4.23 / 評価:184件

地獄のニューギニア戦地と奥崎なりの儀

  • voifvolf さん
  • 2020年8月20日 14時30分
  • 閲覧数 667
  • 役立ち度 1
    • 総合評価
    • ★★★★★

アップリンク吉祥寺にて鑑賞。当時の状況を今の時代の人間が事後法廷的にあれこれ言うのも難しい。生還者たちは総じて口をつぐむが、終戦宣言後に行われ(てしまっ)た現地での凶行を追及する奥崎は、その重い口を暴力に頼ってまでも半ば強引に開かせる。

そこにはどうにもならない時代背景や、究極の状態に置かれたままの現場と生々しい人間の姿があり、終戦したからといって早々に意識を切り替えるのも簡単なことではなかっただろう。2km四方囲われ食うに食えない状況も変わりはなかっただろうし、原住民や敵軍も終戦したからといって数週間で意識を緩めるとも思い難い。

殺された隊の2名はまともだったゆえに殺されたと推測する遺族、そして現場では上官に反抗して何度も殴りかかり決して人を食べなかったという信念を通した奥崎の気骨も並々ならぬものはある。ただ、戦場の現場は本当に悲惨だったと証明された訳で、そこは奥崎の伝えたかったことの一端ではあろうけども伝わってきた。

奥崎は当時の状況を語り継いで国家元首たる天皇に対して戦争責任を追及することが天命だと固く信じていた。問い詰められる元軍曹が奥崎に対して自分への思いが果たせなかったら先祖や家族も含めて責任を負わせようとするんだろうと指摘したが、きしくも後々の奥崎の行動で照明されることとなった。

戦争の最前線を知る気骨ある世代の姿を垣間見る事はできた。この人を右だ左だと思想的に分けてしまうのは違う気もする。冒頭の結婚式で、国家も家族すらも否定していたが、かといって個人主義かというとそれも違和感がある。ただ平和を願う平和主義者と言うべきか、戦争を知らない世代の反戦主義とは別種のものではあるだろう。
無謀と知りながらも一人で戦うその姿は亡くなった戦友の怨念なのか。

ただニューギニアで起こっていたような(沖縄戦等たくさんあるが)悲劇を起こしてはいけないと思う。国際情勢が荒れている昨今、いつかの未来、戦地で起こりうる悲劇への警鐘である事も確かだろう。

上映後、原監督が登壇し製作談話をいくつか語ってくれた。
今村昌平監督は奥崎に関して映画を撮ってみないかとメジャー監督何人にもそれとなく声をかけていたっぽいが、皆ヤバイと思って断っていたとの事。何の気なしにそれを引き受けた原監督も中々ぶっ飛んでると思う。今村監督も興味はあったけども結局撮れなかった映画だとしたら原監督GJだ。ちなみに原監督曰く、自分の著書は映画より面白いとの評判らしいw

今年の上映を奥崎生誕100年と銘打っていたようで、来年も101周年で上映したいと担当者が言っていた。色々と感慨深い映画ではあるので一度鑑賞してみては。

詳細評価

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