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まあだだよ

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2.0

エンタメ性に乏しく、言葉の羅列と台詞の応酬が目立つイッヒロマン映画

監督・脚本・編集:黒澤明、製作:黒澤久雄、撮影:斎藤孝雄、上田正治、音楽:池辺晋一郎、主演:松村達雄、1993年、134分、配給:東宝 内田百閒の随筆を原案に、戦前から戦後にかけての百閒の日常と、彼の教師時代の教え子との交流を描いている。 昭和18年、ドイツ語教師・百閒先生(松村達雄)は、随筆家としての活動に専念するため学校を去る。その後も、先生の家には彼を慕う門下生たちが集まり、鍋を囲み、酒を酌み交わす。戦時下、先生の家は空襲で烏有に帰し、妻(香川京子)と二人、貧しい小屋で年月を過ごすことになるが、戦後、門下生たちの取り計らいで新居を構えることになる。・・・・・・ 当時観て以来、久しぶりの鑑賞となった。それほどに、もう一度観たいという衝動に駆られない作品である。 白黒時代の黒澤映画らしさは消え、『夢』のつづきに現れるべくして現れたような作品である。エンタメ性は消え、力強さや迫力なども消え、カメラを固定させ、長い台詞や台詞の掛け合いシーンが多く、長回しも多いので、義理にも楽しめる映画とは言えない。それでも、黒澤映画に一貫して強調される特有の「正義の押し付け」的主張は、本作品にも明確に見てとれる。 しかし、それにしても、監督が脚本を兼ねる弊害は、ここにも現れてしまっている。なぜ先生は、これほどまでに生徒にいつまでも慕われるのか、教え子たちは、なぜこれほどまでに先生に対し献身的なのか、新居での飼い猫「ノラ」がいなくなったときに、なぜ先生はそこまで悲しむのか、なぜ教え子は仕事を放り出してでも猫を探すのか、などなど・・・いずれも一定の想像ははたらくが、観客に想像させようと意図しているようなつくりではないので、言葉が泡のように噴き出ては消え、数珠つなぎになっているだけに終わってしまっている。 カメラも、長回しからちょっと寄ってみる、といった工夫もあるが、横に動いたりレールを敷いての撮影もないため、一本調子に終わっている。 本作品はすなわち、先生と教え子がこうあったらよろしいのに、先生と教え子はこうあるべきだ、といった理想を説く「教訓映画」に終始した映画であり、そこに多少の教養や当意即妙な会話を入れたに過ぎず、その笑いさえ強要され共感を呼ばず、全く、先生の心中を見るような作品ではなくなっている。 黒澤映画として観るから評価が低いが、一般の映画として観ればそうでもない、という論評も多いが、黒澤映画としての上記「一貫性」は維持されており、まさしく『乱』や『夢』のあとに出た黒澤作品として納得はいく。黒澤映画ゆえに、その一貫性や、「戦いの後のおだやかさ」を理解することができるのであり、その限りにおいて本作品は明らかに黒澤作品である。そして同時にそれは、映画としてのエンタメ性に乏しく、しつこいくらいの言葉の羅列とくどい台詞の応酬が目立つイッヒロマン映画に終わってしまったのもまた事実である。

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