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午後の遺言状 (1995)

監督
新藤兼人
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3.83 / 評価:88件

監督の想い。

  • とみいじょん さん
  • 2021年2月19日 18時45分
  • 役立ち度 1
    • 総合評価
    • ★★★★★

ノンフィクションとフィクションの境目。
 役者や監督の人生が透けて見えるのに、でもやっぱり、フィクションの”劇”として成立しているすごさ。


二人の老女のひと夏の出来事。そこに老夫婦が絡む。
 たった数日のうちに、人生をひっくり返すような事件や告白があり。
 重いテーマを扱いながら、悲しい出来事もあるのにどこかコミカル。淡々と進む。
 「さっき、言ってた」となぜか繰り返す台詞があったり、相手の話をスルーしているようにみえる会話もあったりするが、通してみると、しっかりコミュニケーションが成立しているところが日常会話あるあるですごい。


正直、初見では、どこが、絶賛される映画なのかわからず。
 映画に引用されるチェーホフの『かもめ』や『三人姉妹』を知っていたら、もっと理解できるのかな?


けれど、この映画が乙羽さんの遺作と知ってから見ると、その一つ一つの台詞が胸に響いてくる。
 乙羽さん、杉村さん、朝霧さんの実人生を彷彿とさせるところもあって、脚本を書いた監督が、この台詞を映画の中で言わせたことに驚いてしまう。言わされる役者もどんな思いでこの言葉を発したのだろうか?実生活と役柄をごちゃまぜにしていたら役者なんて続けられない。切り離しているのだろう。でも、実感を伴わない演技では、鑑賞者の心を打つことはない。

高齢の杉村さんの為に企画された映画と聞く。
 でも、杉村さんより年下の乙羽さんが癌に侵されて余命僅かなことがわかる。乙羽さんもご存じだったのか?夫である監督や息子である製作者は当然知っていたであろう。砂浜の場面では立っているのもやっとだったと聞く。杉村さんも乙羽さんの病気のことを知っていたのか?容子が泣き崩れて座り込み、それを気遣って豊子が座る場面の自然さ。でも、杉村さんが乙羽さんを気遣っての演技と見るのは、意味付けのし過ぎか?
 築地小劇場。実際に杉村さんが女優人生を始めた場所。そもそも、この役柄が杉村さんそのままに見える。そして、Wikiにある中村メイコさんとのやり取りを踏まえると、さらに胸に刺さってくる。
 実生活でも夫に献身的に尽くした朝霧さん。
 実生活でも不倫状態が長く続いた乙羽さん。乙羽さんご自身は子どもを産むことはなかったが、監督と作り出した映画の数々が子ども?とはベタすぎるか。
 そして認知症。ある程度の年齢になれば、いつでも背後に忍び寄る影。
 その一言一言が、大俳優4人+監督の”遺書(生き様)”のように聞こえてくる。
 なんて映画だ。

どう生きてきたか、生きるか。普遍的なテーマ。監督の、この時点での一つの答え。


と同時に、90年代を強烈に意識させてくれもする。
 老人性痴ほう症と呼ばれていた頃の雰囲気そのまま。認知症と呼び名が変わった今なら、もう少し介護しながら生活する方法はあると思う。尤も、老々介護の悲劇は今も起こっているが。
 肩パットの入ったジャケット。懐かしい。


そして、松重氏の大根さ(わざと?)が可笑しい。
内野氏は、顔もはっきり映らないけれど、肢体の伸びやかさ・さわやかさが印象に残る。
 そんなところもクスっとしてしまう。

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