期待外れは寺田ヒロオを知らないから
- kinchan3 さん
- 2016年6月12日 15時39分
- 閲覧数 5269
- 役立ち度 20
- 総合評価
主人公が寺田ヒロオになっていることから分かるように、後に大成した人たちからの苦労話ではない。
「スポーツマン金太郎」など、とっても健全な漫画を書き続けた寺田ヒロオは若くして引退してしまう。
漫画家が漫画のように生きられるわけはない。
多くの芸術家が芸術だけで生きられないのと同じだ。
こんな暗い映画に仕上がってしまうのは仕方がない。
とはいえ、もう少し描きようがあったのではないかと残念に思う。
多くの人に「テラさん」と慕われる人だった。
NHKでも一度取り上げていたことがあったが、漫画のその後の発展とは正反対の方向に生きた人だった。
井上一雄・福井英一の漫画『バットくん』に刺激されて漫画家を目指したのであって、手塚の『新宝島』の影響を受けた他の漫画家とは違う。
だから、映画的手法などはなかった(と思う)。
劇画などは絶対に受け入れられなかった。
わたなべまさこみたいに長生きできなかったのか(と思う)。
これから観たいと思う人は、ウィキでいいから寺田ヒロオや『漫画少年』の項目を読んでほしい。『まんが道』を読みなおしてほしい。
映画でも(誰かも書いていた)石森章太郎のお姉さんとのことが出てくるが、寺田は大作曲家・中村八大の妹である旺子さんと結婚している。
トキワ荘というと、手塚治虫ということになるのだが、この映画でも分かるように、藤子不二雄がやって来た直後に出て行っている。敷金を残したままというのは『まんが道』にも出てくる話だ。
だから、トキワ荘の主は寺田だったのだ。
僕は個人的に手塚は大好きなのだが、あまりにも天才すぎて漫画やアニメの単価を安くしすぎたのは許せない。
トキワ荘の連中の苦労の原因も手塚にある。
村上春樹は「音大は才能の墓場」と書いているが、漫画界もまた天才たちの墓場なのである。
僕は年齢がいっているだけに同時代人として寺田の漫画を読んでいる。
小学生にもその無垢さ、健全さが沁みてきた漫画家だった。
他の国でも盛んになったのだが、日本みたいになれないのはトキワ荘があったかなかったかの違いだ。
ちょうど、明治維新のように後進国が飛躍できないのは江戸時代があったかなかったかの違いだというのと同じだ。
つまり、文化的基礎ができているのと、できていないのと。
欧米はササラ型で、日本はタコツボ型だと丸山眞男は喝破したが、漫画に限っていえば、日本はササラ型だったのだ。
だから、欧米で表面だけ真似たマンガが生まれても、ルーツがないからまだまだひ弱い。
うちの隣は貸本屋で、月刊誌も借りたし、いっぱい漫画を買ってもっていたものだった。高校生になった時に母親に全部捨てられてしまった。
あのまま持っていたら、こんなに働かなくてすんだのになぁと思う。
でも、みんな同じだ。
生きている時代の価値はわからない。
思うのだ。
ビートルズに叫び、泣いていた女の子たちを!
彼女らこそが、まさに同時代人として生き、ファビュラス・フォーの価値が分かっていたのだ。
「ある冬の日、僕はこのアパートを出た」
詳細評価
イメージワード
- 悲しい
- 知的
- 絶望的
- 切ない