遅ればせながら伊丹十三の凄さを知る
- @tkitamoto さん
- 2020年4月30日 17時59分
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筆者は若い頃映画を志した者である。(現在といえば、単なる何者でもない)。
そんなワタシが心酔したのは、「ゴダール」であり、「小津」であり、「溝口」であり、「森田芳光」であり、「ジム・ジャームッシュ」である。
そこで伊丹十三はどんな存在だったかといえば、もちろん森田芳光の「家族ゲーム」に出演しているのだが、彼の映画とは疎遠であった。
「お葬式」はかなりの評判になり、TVで見たことはあったはずだ。
だが、以後「◯◯の女」シリーズは単なるプログラムピクチャーのように感じ、映画監督に作家性を求めるワタシには興味の対象ではなかった。
1997年、既にワタシは映画を諦めていたが、伊丹十三は亡くなった。
それから20年以上になるが、ワタシと伊丹十三の接点は見いだせなかった。
2020年、こうして伊丹十三の映画について、好意的な文章を書くことができるというのは大変幸福だ。
数年前、CS「日本映画専門チャンネル」にて録画してあった伊丹十三映画を見るに至った。
(録画して見ていないということも問題なのだが…)
見るに至った動機もやや軟弱だ。
ワタシも映画を若いときに志した関係で、短いシナリオのようなものを構想しているのだが、その参考になればという思いがあった。
宮本信子というミューズをどのように伊丹十三は撮ったのかということに興味があった。
「スーパーの女」は、単純に面白い。
現在この文章を書いているのは、2020年4月、新型コロナウイルス感染症が蔓延し、この先どうなるかという時期である。
数ある商店が自粛という名で閉店に追い込まれている中、生活必需品を売る「スーパー」は絶賛営業している。
そんな状況の中、スーパーの裏側を描いたこの映画では、業務そのものを丹念に描いており、スーパーの仕事というのもたいへんなのだなぁと素直に感心する。
若き日の伊集院光と柴田理恵も出演しているのだが、伊集院光は当然若いのだが、柴田理恵は現在のイメージとほとんど変わらないのに驚く。
副店長(宮本信子)が飛んで回って、気持ちがいい。
スーパーマンのように無理難題を解決していく様がスカッとする。
まあ、こういう映画を頭でっかちな人々が評価できないのは頷ける。
若いときのワタシもその一人であった。
映画とはまずはエンターテイメントでなければならない。
スーパーの裏側という影の社会問題を扱いつつも、結局は人間ドラマとして、喜劇として高い次元で完成されている素晴らしい映画だ。
もし、食わず嫌いで伊丹作品を見ないという人がいるならば、この「スーパーの女」から見てはいかがだろうか?
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