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夏時間の大人たち HAPPY-GO-LUCKY (1997)

監督
中島哲也
  • みたいムービー 43
  • みたログ 96

3.72 / 評価:32件

夏はみていた、父を母を観客を

  • achakick さん
  • 2010年9月20日 17時33分
  • 閲覧数 399
  • 役立ち度 8
    • 総合評価
    • ★★★★★

80点


中島哲也デビュー作。
音楽を担当するのは「tokyo.sora」や「好きだ、」でもいい仕事してた菅野よう子。

予算をアホみたいにかけるでもなく、アートっぽい仰々しさもなく、それでいてなにげなくさりげない滋味があり、個人的にはこれが中島哲也の最高傑作じゃないかと思う。

ある夏、ある少年はスケッチした絵を妹に落書きされ台無しにされ、泣く。

でもその落書きのおかげで彼はコンクールで金賞を獲る。
複雑な表情を浮かべる少年。

受賞の席で自分の絵にたいする意見をこわれ、少年は答える。

「心にうかんできた色を塗った」と、それらしく。

名誉にかられて嘘をついた彼は、子供じゃなくなりつつある時間にいる。

それは主人公タカシの父が少年だった頃の話。

また別のある夏、ある少女は楳図かず夫の怪奇マンガ「蛇女」を夢中で読んでる。

子供らしい曖昧な現実感から、少女は病気でいつも家で寝てる母をホントは蛇女なんじゃないか、と夢想にとりつかれる。

それはタカシの母が少女だった頃の話。

こんなふうに物語は、夏を軸にして時間をめぐる。

祖母の墓参りで集まった一家、取り壊し物件となった実家を母と叔母はタカシを連れて見に行くことにする。

二階の暗い部屋で二人の姉妹は「蛇女」のフリでタカシを驚かすイタズラをして、廃墟となった家の庭に笑い声が響きわたる。

このへんで、どうせ中島だし、とナメていた姿勢を正された。
母の過去の夏「蛇女」がタカシの現在の夏にちょっかいをだすことで二つの夏時間がつながり、ぐっと映像空間が濃くなる感覚がある。

逆あがりができないせいで居残り練習をさせられるタカシ。
もうちゃっちゃとあきらめてしまいたい気分のタカシは父に問う。

「子供ん時のことなんて忘れちゃうよね?」

「忘れない」

返事がかえってくるまでの「間」に介在する父の中の過去の夏が、息子の現在の夏をぴしゃりと打ちやる。

そんな首を痛めてから仕事を休み窓辺でぼけっとばかりしてる父は、近所の空き地でいつもイジメられてる女学生とカラオケにたてこもる、とゆう子供じみた珍事件を起こす。

大人だって子供じゃないから仕方なく「大人」をやってるわけで、その皮を剥いでゆけばむきだしの子供があらわれる。

だからタカシの「どうして?」にたいする答えが「わからない」。

そんなやるせなさから逃げた父に怒った母はぶん殴る。
父の首は悪化。

なんといってもステキに突き抜けてるのは祖母が一人、そっと泣くシーン。

タカシの口からふいに出た「蛇女」のフレーズと庭の雨景色が、母にある記憶を思い出させる。

蛇女だと思われてることも知らず、母(祖母)が大きなプリンを作ってくれた。
自分が小さかった頃の写真を大切そうにならべて見せてくれた。

自分を愛おしんでくれた母の姿に、母が蛇女であるわけがないことを娘は悟る。
だから「雨に濡れると蛇女になる」とゆう噂話の定説に逆行するように娘は雨の降る庭にとびだし、水びたしで母に笑顔をむける。

シーンは現在にもどる。母とタカシは庭を眺めてる。
ジャケットにもなってる、この「想う母を想う母とその息子」の図。
庭とゆうなんてことない夏の空間に三世代が想いをはせてる。
みんなの想いを孕んで夏がふくらむ。そんな叙情がある。

最後にカメラは祖母の表情を切りとる。

誰にも見られないところで流される涙を捕まえた夏の視線。
映画全体の夏時間がぎゅっと凝縮して、彼女の瞳に具現化して水になった感じ。

タカシや母の夏と違い、祖母の夏は母の夏の中でしか描かれなかった。
涙を流すほどの感情、事情がはっきりと正体をあらわされないまま、結果として発露する涙。

「描かれなかった夏」だからこそ観客の「描かれることのない夏」に迫るような、映画の中でふくらんでった夏が祖母の涙を通してこちら側にふと繋がってくる感覚が斬新。

終盤の陳腐すれすれになってしまってるポエム、ナツコとゆう人物の無意味な遊び要素や軍人妄想シーンなど、のちの中島映画の予兆のようなムダも多いけれど、中島哲也ってデキる人だったんだと見直させてくれた一本。

詳細評価

物語
配役
演出
映像
音楽

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