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萌の朱雀 (1997)

監督
河瀬直美
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  • みたログ 404

3.14 / 評価:112件

余計なものをなくす試み、実験作?

  • 百兵映 さん
  • 2013年10月26日 12時01分
  • 閲覧数 1259
  • 役立ち度 1
    • 総合評価
    • ★★★★★

 映画作りに、言葉と演技と音楽をどこまで省略できるか、という“実験作”かな、と思って見ると、納得がいく。もっと言えば、キャストもスタッフもどこまで省略できるかという実験でもある。そうすれば、映画を「詩」にできるし、「詩」を映画にできる。これは映画なのだから、詩的映画ということになろうか。その可能性を追求したのだろう。

 実験は成功しただろうか。観客の一人としては、中途半端にしか見えなかった。省略のし過ぎだ。

 この村を翻弄した鉄道敷設と中止の一大騒動を、村の男衆の会話のひとコマで理解させるのはちょっと無理な注文だろう。

 大黒柱と思しき男性の死を、警察からの電話を受ける家族の無言の会話のひとコマで理解させるのにも無理がある。そもそも、この家族らしい家族の過去も現在も明らかでない。

(ネットで調べた。「五新線」で検索。それでこの村と家族のことが理解できた。ついでに映画の解説記事を読んで「孝三」は自殺したのだったことを理解できた。)

 いっそのこと、鉄道の話も切って捨てたらどうだろう。奈良といえば日本人の誰もが知っている歴史の里。中学校の娘さん(どうやら本当の家族ではないらしい)が学校で学ぶ郷土史(それは日本史そのもの)の一旦と、現在の忘れられた過疎の村の落差を静かに考え、村と家人を見つめる、とそういう構成にしたらスウッと通りそうに思う。

 実験では余計なものを捨てる試みであったようだが、その反動というのか、詩的映像を作るのには熱心だ。度々出て来る逆光線の絵だ。なるほど、これによって透明感のある絵になる。トンネルの中から外を見れば人も村もこのように見える。顔が暗くて見えないが、それで、「悲しい」という台詞を言わせないで悲しく(そして美しく)見せる。しかし、これも度々見せられると、結局は説明的で嫌味になる。

 現在の映画は、説明的言葉の過剰、オーバーなアクションの過剰、派手なセットの過剰、名前だけの有名キャストの過剰。それでいて、しっかりしたテーマ性の欠如、真の役者の不足、いい映画を期待する観客の減少、……。そういう中で、こういう、無駄を排したすっきり感のある映画作りを世に問う試みには拍手を送りたい。

 作者が未だ30歳にもならない時の作品だ。齢を重ねられて、味わいのある映画を発表されることを願う。歳をとると、いわゆる高級食は受け付けなくなる。醤油をかけただけの刺身がいい。摩り下ろしただけの大根が一番旨い。ドレッシングは要らない。

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音楽

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