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あ、春 (1998)

監督
相米慎二
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3.23 / 評価:56件

未来という領域は女たちによって広げられる

思えば「翔んだカップル」にて坂道をローラースケートでゆるやかに滑走する薬師丸ひろ子も
「ラブホテル」で一方的に切られた相手にひたすら独白をする受話器片手の速見典子も
「魚影の群れ」で大足広げて自転車にまたがる夏目雅子も
さらには「ションベンライダー」の水上丸太の上を走り回る可合美智子や
「お引越し」で湖へ彷徨する田畑智子、
「光る女」で橋の欄干で尺取り虫移動をする安田成美、
「東京上空いらっしゃいませ」で井上陽水を歌いながらナイトクラブに流れ込む幽霊の牧瀬里穂、
「風花」で自殺する場所を求める小泉今日子に至るまで、
いずれのヒロインたちも残酷なくらい顔や目や口だけを狙うようなメロドラマ的な特権が排されて(躍動)だけが全身に要求されておりました。
それは映画と物語とは全く別の魅惑に位置すると観る者に言わしめるような圧倒的な存在感ですが、(躍動)が遮断され、ただ存在のみを全身に与えられたような異色の相米映画ヒロインが斉藤由貴な気がします。

彼女は少なくとも外見上は夫と子供への愛情だけに傾倒しているかのようです。
ですが眠る夫の腹を咬む、小動物の生死に取り乱す、山崎努の奇行に翻弄されながらも遊戯の相手をさせられるが如く取り込まれる、思い切った自分の決断に他ならぬ自分自身が一番取り乱す等々・・
平凡な主婦でありながらこの作品の中では最も異様さを背負わされる立場におります。
そんな異様さを(躍動)とは無縁の振舞で彼女自身が持つ丸みを帯びた肉体全身で受けとめる受動性がこの(家族という物語)が抱えがちな単純さから著しく引き離した予見的豊かさへと変えている気がします。

それは未来という領域は女たちによって拡げられるという、いつも相米作品から味わえる清々しさに他なりません。

速見典子さんは相米慎二追悼に寄せて「彼ほど桜を愛した男を私は知らない」と綴っております。
相米監督の女性に対する視線は桜を観る眼差しだったかもしれません。

夭折はどことなく相米監督らしいですが生きておられればどれだけ素晴らしい作品群が今頃誕生していたことか・・

詳細評価

物語
配役
演出
映像
音楽

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