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ドゥ・ザ・ライト・シング (1989)

DO THE RIGHT THING

監督
スパイク・リー
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3.47 / 評価:178件

映画最後のキング牧師の言葉が全て。

  • dtj***** さん
  • 2020年7月5日 17時20分
  • 閲覧数 253
  • 役立ち度 0
    • 総合評価
    • ★★★★★

白人側から黒人への差別が根底にあり、それが引き金となり起こった事件。

と一方から唱えるのはこの映画の趣旨、理解には遠いかもしれない。

問題は二つ。
①違うものへの理解
②正しさの危うさ

①単に黒人差別への問題。と言った主題ではなく、(違うものへの理解)という意図がこの作品には込められている。

皆毎日呼称する(黒人)や(白人)そして(ヤンキー)のような呼び名(ラベル)。
ある側面ではこのラベルは本当に便利で、呼称される側の属性を(あくまで端的に)示す。

しかしこのラベルがどのようなことか知る必要がある。
ラベルで呼称された側の人は全て同じ属性であるとは限らないということだ。
ヤンキーといえば暴力的、人のことを考えない、といった印象がある。これら全てが多くのヤンキー全てに共通するわけではないように、今回の映画の主題も、この理解が足りずに起こった事件だ。


②また、正しさはときに人を盲目にする。
自分の意見が正しいと信じるときほど対立する意見に対して人は暴力的、抑圧的になる。
今回でいうところのピザ屋を焼いた暴動。

しかしこの信じた正しさはあくまで一方から見たものでしかない。今回だと(黒人が殺された、おかしい)という意見。
しかしその事件の背景には黒人というラベル関係なしに、違う人に対しての接し方に問題があるわけで。

ラジオを街中で流すのは嫌な人もいるかもしれない。

ここに黒人がラジオを流したことは因果が無い。

ラベルを貼った、派閥的な対立ではなく個人間の意見交換にシフトしなければならない。その黒人というラベルによって性格の傾向はあれど、あくまで個人なのだ。そこを理解しないと差別問題は理解されない。





つまりある個人は違う意見、人に対して思慮深くなると、簡単に人を否定したり、自分の意見を強く発したりしないのである。それが人を否定する引き金になり得ないから。

ここまでの理解は文章で体得するものではなく、個人が対人関係を通して実感する部分が大きいだろう。根本的な解決は難しいが1人でも多くがこの映画から何かを感じ取ってくれれば幸いだ。

詳細評価

物語
配役
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映像
音楽

イメージワード

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