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ドクトル・ジバゴ

ドクトル・ジバゴ

DOCTOR ZHIVAGO

PG12194

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2.0

拡張版ロードムービーに堕してしまった

監督:デヴィッド・リーン、脚本:ロバート・ボルト、原作:ボリス・パステルナーク『ドクトル・ジバゴ』、製作:カルロ・ポンティ、撮影:フレディ・ヤング、ニコラス・ローグ、編集:ノーマン・サベージ、音楽:モーリス・ジャール、主演:オマー・シャリフ、ジュリー・クリスティ、1965年、197分、米英合作、配給:メトロ・ゴールドウィン・メイヤー、原題:Doctor Zhivago 第二次世界大戦後、ソビエト連邦の将軍、イエブグラフ・ジバゴ(アレック・ギネス)は、腹違いの弟ユーリの娘を探していた。戦災孤児の中にそれらしき娘がいると知らされ、モンゴルとの国境近くのダムの事務所で、トーニャと名乗る少女(リタ・トゥシンハム)に出会う。トーニャは父と母の名前、顔、素性を知らず、イエブグラフが彼女の父母の素性を明かしても狼狽するばかりであった。イエブグラフは彼女に、ユーリ・ジバゴ(オマー・シャリフ)の生涯を語り始める。 3時間以上に及ぶ大作であり、主題曲「ラーラのテーマ」でも、タイトルはよく知られている映画だ。 大昔に見て、これが二回めの視聴となるが、正直なところ、やはりピンとこない。 カネがかかっているのは見ればわかる。広大な草原や雪原、山々を取り入れたパノラマ風な背景、大雪の後の家や街並みのセット、また上流社会の人々の身につける衣装や履き物、装身具、騎馬部隊の多数の馬やエキストラなど、巨額の製作費のみでなく、綿密なスケジュールの下、相当の時間をかけて撮影されたものであることはわかる。問題は、それら豪華な<装飾>が、ストーリー展開に密着せず、乖離してしまっていることだ。 原因を手繰るなら、やはり脚本に行き着くであろう。ジバゴというひとりの男の人生を描いているという点では、いわばロードムービーの拡張版である。ロードムービーは全般につまらない。なぜかといえば、その人物ひとりが登場し、その人物にかかわる者は、脇役でしかないからだ。メインの旅路以外に、サブのストーリーが語られていれば成功する、というわけでもないが、要するに、牽引力がなければエンタメ性も消えてしまう。もし原作がメインストーリーのみであるなら、内容の意義を保ちつつ、それを書き換え、映画の脚本に直すのが、脚本家の仕事だろう。 後半はダレ気味となり、よく言うなら、純真な性格ゆえのジバゴという男の<自らの信念に基づく生き方>を描くのみになるので、革命や戦争が遠因とはいえ、興覚めな展開となる。ラーラ(ジュリー・クリスティ)とは、偶然にも何度か出遭ううち恋仲となるが、そういう設定は別にかまわないのだ。一度は別れを告げにわざわざラーラのところに行ったジバゴが、なぜその姿勢を貫かなかったのか、成り行き自体は見ていればわかるが、そのあたりにも脚本や映像表現などでひと工夫ほしかった。 脚本としてよかったのは、全体をイエブグラフの回想でくくったことと、ドクロル・ジバゴという人間の出現のさせ方であろう。少しずつ断片的に登場させるやり方は、興味を引いてよい。ロシア革命にかかわる騒動にジバゴたちも翻弄される。革命軍の活動家のふるまいや内部の事情、貧富の差や革命軍のしたい放題の描写は興味深い。 メインテーマ「ラーラのテーマ」は美しく覚えやすい旋律であるが、必ずしもこれが流されるシーンのすべてにこの旋律がふさわしいとは思われない。それぞれのシーンにふさわしい効果的なOSTを付けるべきであった。 ヴィクトル・コマロフスキー役のロッド・スタイガー、パーシャ・アンティポフ(=ストレルニコフ)役のトム・コートネイの演技はすばらしい。 一大叙事詩などとも評価される映画だが、標準的な映画であると思う。撮影の苦労、演技の苦労、は、いずこも同じだ。 本作品は、アカデミー賞で脚色賞も受賞しているが、おそらくは、もっとごたごたした原作であったものを、映画化しやすいように直した点を評価されてのことなのだろう。映画を観るきっかけにするくらいで、アカデミー賞というもの自体を信用していない。

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