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突然炎のごとく (1961)

JULES ET JIM/JULES AND JIM

監督
フランソワ・トリュフォー
  • みたいムービー 60
  • みたログ 478

3.91 / 評価:149件

伝統的な女性の存在的テーマ

  • bar***** さん
  • 2019年1月2日 21時22分
  • 閲覧数 422
  • 役立ち度 0
    • 総合評価
    • ★★★★★

突然炎のごとく。

フランスの恋愛映画で、フランソワ・トリュフォーが手がけました。原題は『ジュールとジム』

私はフランス映画らしいフランス映画だなと思いました。

カトリーヌのキャラクターはフランス文学の伝統的なものですし、言い回しもフランス文学の潮流に乗ったもので、目新しさは皆無です。

トリュフォーはこれを御伽噺風にしようと骨折っているように見えますが、結局内容は高尚であり、なおかつ後半は生々しすぎるくらいで、それと大仰なアメリカ大衆映画的な音楽演出がかみ合っておらず、結果的に全体の表現が人工的なものに見えてしまいます。

表現が人工的なものであることと、内容の高度な文学的要素の齟齬が、もし彼の狙いだとしたら、その狙いの目的も意味不明ですし、これはただのトリュフォーの実験的な映画で、その実験の結果も曖昧なものになっている、微妙な作品だということにしていいんじゃないかと思います。

Wikipediaによると、当時フェミニストの女性達に「カトリーヌは私です」ともてはやされたそうですが、カトリーヌは先ほども言ったとおり、フランス文学ではメジャーなキャラクターです。カトリーヌは自由と情熱を求める女ですが、その存在の問題で、自然的に滅んでいく高尚な女のイメージであり、それが男性には神秘性を、女性には偶像性を与えるというので、定番と言えるほど書き尽くされてきたキャラクターです。文学の国フランスだからこそ、カトリーヌのような希有な存在が定番になることができた、というのがやはり凄いことですが、この映画においてカトリーヌのキャラクターを論じるなら、フランス文学を一通り漁ってみて、誇り高く情熱的なフランス女性たちに触れてみた方がよほど有意義だということを言っておきます。

それというのは抜きにして、カトリーヌにおける女性の悲劇性というのが、やはり今作のテーマの一つになっています。カトリーヌは自由と誇りと情熱を求めましたが、そもそもそれが何なのか、私たちにも、もちろんカトリーヌやジュールやジムにも分かっていないのだと思います。自由ということは、選択できるということで、選択できるということは、選択するために考える必要があるということ、そしてそれは哲学的で宗教的で倫理的な思考を要し、つまりは「自分の存在の目的」という根本的な問いに発展していく可能性を秘めているということです。

カトリーヌは自身の感情と恋愛観を尊重するゆえに(それが彼女にとっての「自由」)、「結婚」という理想や、「幸福」という曖昧なイメージと、現実がどうやら違うということに気が付いたとき、そこで破綻してしまい、混乱してしまうのです。そしてそれを相手のせいにしてみたり、自分のせいにしてみたり、怒りのやりどころが定まりません。思い切って相手を変えてみても、それがどこか、「自分の理想的な生活」と齟齬をきたすように感じるのです。彼女の誇りは理想的な姿に固執し(奔放で美しい自分というイメージ)、現実を「これは自分が思い描いていたものと違う」と否定的な見方で見るようになります。しかし彼女の根はそこにはなく、彼女が恐らくもっとも嫌っていること、「平凡な家庭的生活」といったものにこそ、私はあるのではないかと思うのです。

初めに言ったとおり、私にも「自由」や「誇り」や「情熱」といったことは、わかりません。それは遠大なテーマなのです。だからこそカトリーヌといった女性は何度も描かれ、そのたびに深く根本的な問いが投げかけられてきたのです。

ただ今作はその物語を御伽噺風にしようとしてみたり、アメリカ大衆演劇風の壮大で野蛮な感じの音楽表現にしてみたりと、やや実験的色合いが強いものになっており、それでいながら伝統的な恋愛テーマの内容ですから、いまいちパッとしない作品だなと思います。

もちろん面白いことには面白いので、私は★4で評価しました。トリュフォーの名前も有名ですから、一度見てみることもオススメします。

詳細評価

物語
配役
演出
映像
音楽

イメージワード

  • 知的
  • 切ない
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