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マルコヴィッチの穴 (1999)

BEING JOHN MALKOVICH

監督
スパイク・ジョーンズ
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  • みたログ 4,206

3.42 / 評価:759件

アイディアがおもしろい

  • yasuaki839 さん
  • 2014年4月22日 2時05分
  • 閲覧数 907
  • 役立ち度 1
    • 総合評価
    • ★★★★★

他人になってみたい、という思いは多くの人が一度はもったことがあるのではないだろうか。
それが可能になるトンネルがあるという設定が面白くないわけがない。そして、マルコビッチに乗り移ったときにだけ意中の女性マキシンに愛される夫婦のクレイグとロッテ、という設定もおもしろい。最終的にマキシンはそのままのロッテを愛することになり、クレイグはマキシンの娘の意識下に取り込まれて、意中の女だったマキシンと妻のロッテの仲むつまじい姿を、娘の目を通して見せられるという地獄に閉じ込められてしまうという結末もおもしろい。シュールなコメディとしてよく出来た作品だと思う。

でも、純粋にコメディとして見ればそこまで笑えるというわけではない。
では、そのシュールさに何か深い意味があるのだろうか。

考えてみれば、人間誰しも他者の目を自己に内在化している。自分はこんな人間であるべきだ、とか、こういう欲望を持つべきだ、とか、価値観とか信念の体系とかいったものを、小さいときは両親であったり、成長しては友人であったり周囲の人間たちから取り込んでいく。つまり、人間誰しもたくさんの周囲の人間たちの視点を内在化していくことで、自分という独自の体系を作り上げていくわけである。

そのように考えてこの映画を振り返ってみると、ロッテはマルコビッチの目を通して世界を見ることで女性とは男性を愛するべきというそれまでに構築されてきた社会的な価値を内在化した自己の信念から解放される、と言えそう。そして、人形遣いのクレイグは他物に自己を語らせる存在である。ジョンマルコビッチという他者を通して自己を表現しなければ冴えない人物であり、確固たる自己を持っていない。だから最終的には娘の潜在意識にまで落ちてしまい自己というものをある意味で失ってしまう。マキシンだけは最初からマルコビッチの穴に入ろうとしない、確固たる自己を持っている人間である。そんな彼女は自己を持たない人形遣いのクレイグを愛することは出来ず、確固たる自己に気づいたロッテがその中にいることを感じられるマルコビッチを愛し、最終的にはロッテ自身を愛することになる。

とまあ、何か意味を読み取ろうとすればできなくもないようにも思うが、演出的にそれが主題化されているわけでもなく、これは深読みに過ぎないだろう。

私の感想としては、着眼点はおもしろいけど、シュールさで深そうな雰囲気を出しているだけのアイディア勝負の映画といったところか。観る価値もないとは思わないけれど、一回ぼーっと観ればもういいかな、というところ。

詳細評価

物語
配役
演出
映像
音楽

イメージワード

  • 不思議
  • コミカル
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