4.0点
公開当時に見た時は、ご多分に漏れずその戦闘シーンの迫力に打ちのめされました。こんなすごい映画は見たことない、と思った。 ただそれだけでした。 しかし、こっちも年齢を重ねて知識も増えて、この映画も何回も見てどういう映画か熟知した状態で、あらためて今回、見直しました。 戦闘シーンの迫力に度肝を抜かれるような心理はもう完全に消えた、冷めた状態で。 そして見ている間じゅう、この製作者たちや監督たちは、いったい何が言いたくてこの映画を作ったんだろう、と、ずっと考えていました。 私たちも、過去の自分の愚劣な失敗について、「あの時のおれはホントになんて馬鹿だったんだろう」とつくづく自己嫌悪に陥ることがあります。 しかし、こういう過去の自分に対する自己嫌悪は、裏返せば、「今のおれなら絶対にあんな馬鹿なことはしない」という自信の表われでもありますよね。 この映画があまりにもアメリカ側をマヌケで愚劣に描いているといって、公開当時はアメリカでは評判が悪かったそうですが。 それは裏返せば、この戦闘でアメリカ軍が大敗したのは、単に無警戒すぎたことと、最後通牒を送る直前に攻撃を仕掛けるという日本軍の卑怯さが原因だったまでであって、これ以後のアメリカは二度とこんな手に引っかかることはなかった、という自信の表われでもあります。 アメリカ人にとって、この映画で描かれている屈辱的なアメリカの姿を見ることは、裏返しの形で愛国心を鼓舞する効果を持っているように思います。 製作者がそれを意図したかどうかは、知りませんけれど。 対するに、この映画で描かれている日本人の姿は、これは明らかに一種の狂信者集団ですね。 兵士たちに個人としての意志や判断はまったく存在せず、号令一下、まるで機械部品のように正確に、完璧に任務を遂行する人々の集団。 出撃前に兵士たちがひとりひとり神棚に礼拝するシーンがありますが、日本の勝利は神の意志だと信じて一点の疑いも抱かない人々の集団。 画面が切り替わって日本側のシーンになるたびに流れるこの雅楽風の音楽に、私は強い違和感を感じました。 雅楽というのは宮廷音楽であって、軍人を映すシーンの背景に流すような音楽じゃない。 この選曲は明らかに、欧米人の日本人に対するイメージに基づいてなされているもので、日本人が日本人を描く時には絶対にやらない種類のものです。 というわけで私はこれ、たくさんの優れた日本人スタッフや俳優が参加して作った映画ではありますが、作りの根っこの部分は、徹頭徹尾、アメリカ人の視点から作られた映画だと感じました。 別に、それが悪いと言ってるんじゃありませんよ。どんな映画だって誰かの視点が必ず入っているのは当たり前です。 ただ私は、アメリカ軍の戦艦や戦闘機がバカスカ破壊されていくシーンを見て「すっげー、かっけー」といって大喜びにしておしまいにしていた幼い頃の自分は、もう卒業したいなと思っただけです。誰が、どういう意図でこういう映画を作ったのか、ちゃんと見極められる人になりたかっただけです。 ただ、このゼロ戦の超低空飛行の映像だけは、これがCGではなく実機を飛ばして撮影してると知って見てると、今でも背筋が凍りますけどね。ほんとに地上の建物とかのすれすれを飛んでる。撮影スタッフの人たち、撮影中生きた心地がしなかっただろうなあ。