開港の意味
- Masagoyaネットシネマ さん
- 2007年6月24日 20時03分
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1853.6.3. (嘉永六年)黒船四隻来たる。
亜米利加東印度艦隊司令長官ペリー提督による開港の意味は、六百人の艦隊に四十万の武士を持つ日本が屈伏した。ピサロのインカ帝国征服を上回る世界史的記録。
「泰平のねむりをさます上喜撰(蒸気船)たった四はいで夜もねられず」流行した狂歌
1854年の日米和親条約は阿片戦争後締結した米清望厦条約を見本とした。
横浜「居留地貿易」英国商社ジャーディンマセソン商会による居留地第一号の商館
世界史で、徳川幕府という二百五十年続いた中央集権体制の大組織が、約二万五千人もの格式と地位の高い正規の警護軍を持ちながらも、その99.99%の旗本衆に裏切られ、一挙に四散して滅んだという珍例は、世界史上極めて珍しい。
王政復古の大号令とは、長州田布施町麻郷の井神(地家の隣の)の高松八幡宮での事で、三条実美も同席。午後の小御所会議とは、勿論、麻郷の事で京都の話では無い。慶喜が実際に将軍職を辞任したのは、12月9日の「王政復古」の大号令の時。明治天皇の即位は8月27日。
孝明天皇の急逝崩御が、維新は革命ではなく単に雄藩と幕府との争覇であったと謂う見解の根拠となる。雄藩は巧みに不平不満の貧乏公卿を利用して皇室を抱き込み、皇室を表看板にして幕府を倒そうとした。当時、こういう思想が瀰漫していた。
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