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うつしみ (1999)

監督
園子温
  • みたいムービー 10
  • みたログ 93

1.84 / 評価:45件

「現し身/映し身」

  • 仙台っ子 さん
  • 2011年11月13日 21時07分
  • 役立ち度 2
    • 総合評価
    • ★★★★★

コーヒーの入ってないカップ、水の入ってない花瓶、あるいは魂の抜けた動物の剥製。
映画冒頭で映し出されるこれらは、園子温が一貫して描いている「空洞」のイメージだ。

『うつしみ』とは「現し身」と書き、この世に生きている身という意味だそうだ。
身体という「器」の中身は空っぽだけど、それでもこの世で生きている。
その「器」を愛で埋めようとするのが、本作の主人公である女子高生だ。

渋谷の「ハチ公」を引きずっていく彼女の姿は滑稽でいて、痛々しくもある。
「ハチ公」は主人の帰りを待ち続けて、死んでいった。
けれども、現在「ハチ公」は待ち合わせの場所と化し、ほとんどの場合は待っている相手が無事にやって来る。
彼女も「ハチ公」と同じく、待てど暮らせどやって来ない。
そんな想いをあまりにもストレートな方法で表現する。直接的な過剰表現、これこそ園子温の映画だ。

また、『うつしみ』は「映し身」「写し身」とも書くことができる。
本作では様々な身体が映し出される。
稽古をする俳優たちの身体、カメラマンに写される女性たちの身体。
ラストに差し掛かると、映ってはいけないはずの、キャメラの外側にいる身体も映し出される。

その身体がただひたすら「走る」ことで躍動する姿は、「空洞」を埋めようと必死に足掻いているようにも見える。
疾走して終わるラストも園子温の1つの特徴で、本作の発展させたのが『愛のむきだし』(08)といったところだろうか。

しかし、本作の位置づけとしては、園子温の作家性の確認としてはいいかもしれないが、1つの作品としては体を成していないと思う。
ただし、ここから1作ごとに確実に進化し続けている園子温の歩みをなぞるという意味で、観て損はない作品だと思う。

詳細評価

物語
配役
演出
映像
音楽

イメージワード

  • ロマンチック
  • 不思議
  • 切ない
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