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E.T.

E.T.

E.T. THE EXTRA-TERRESTRIAL

115

しいちゃんのパパ

5.0

☆純粋な心がオトナの心の糧になる☆

小学生の頃、小学校の体育館に生徒全員が集まり、 この映画を鑑賞した記憶があります。 見たのは確か冬であり、当時の体育館の床の冷たさを忘れる位、 面白かった記憶があり、誰もが認める名作であるのは間違いありません。 30年以上経過しても、今でも愛される映画であることを嬉しく思います。 個人的解釈になりますが、この映画で描きたかったのは、 ただ一言、『愛』であること。 それは、親子愛、友情愛であり、絆であり、 人と交流することでしかできない温かみを感じるモノ。 記憶が確かなら、この映画の主人公のエリオットのキャラ設定は、 親が離婚して母とすごしているという設定だったと思います。 片親が居ないが故に、親の愛に飢え、子供は心に傷を負うものであると。 冒頭で、カギをぶら下げた男性がいきなり登場しますが、 あれは、カギが、家族全員が揃っている家の入り口であるカギの意味を表し、 親が離婚した経験があるスピルバーグの家族への渇望を表現したかったそうです。 オトナの事情で、心が傷つき、愛情に飢えた子供達。 スピルバーグは、当時のアメリカで問題になった 離婚問題による子供の飢えた愛をヒントに この映画を描きたかったのではないかと思いました。 そして、シリアスなテーマでありながら、エンタメとして映画化して、 誰でも楽しめる映画であるのは、数々の賞歴や、 今でも高評価であることが物語っています。 この愛は、オトナ目線では絶対に理解できない。 コドモの目線で表現して、オトナへ訴えたかったのではないかと思う。 実際、E.T.の身長は、主人公とほぼ同じ高さであるのも意図的なのかもしれない。 渇望する愛の象徴。それがあのE.Tであると私は思っています。 最初は何も会話できなくても、心は何かで繋がっており。 E.T.が少しずつ、言葉を覚え、たどたどしくも会話する過程で、 確実に芽生える絆と友情と。一言、一言の単純だけど、重みのある言葉。 コドモならではの純粋さは、先入観・偏見のない交流の大切さを訴えている。 オトナになると、知識が増える分だけ、余計な雑念や偏見も入ってくる。 それが、異質なるものを受け入れる妨げになっているかと言わんばかりに。 それが、如何に不毛であり、無意味であるかをこの映画を通じ思う。 ラストのE.T.とエリオットとの別れ、 絆が深まっても別れの時がくる。それでも絆は永遠に消えない。 そこに秘められた想い。 コドモいう存在でも、いつかは別れが来るという、 生きていく上で避けられない運命。 そして、別れという経験を受け入れることで、 両親の離婚という運命を受け入れなくてはならないかの様な暗示。 そういう経験を積んで、オトナになるかの様に・・・。 しかし、あの頃の経験はオトナになっても、 心の中に残り、人は心豊かになるのだと。 この映画のレビューを確認すると、 E.T.の外見が奇形とか、この映画は見世物小屋とかの批判もある。 それは、オトナ目線という、雑念が混じった目線で見ているからでしょう。 オトナの目線で見れば、アラや突っ込みをしたくなるだろう。 敢えて奇形な姿(私は可愛く見えたが)にすることで、 見えるものがあると、この映画では訴えている。 誰もが見たことがない姿を見せることで、自分の心が試されているかの様に・・・。 E.T.の姿を奇形やら、何かを連想させると、思う時点で、 オトナの目線であり、この映画の意図は永遠に理解できないかもしれない。 先にも書いた様に、コドモの目線の如く、純粋な目でみないと面白くない映画。 そうでない人も、この映画を見て、何か熱いものを感じれば、オトナであっても、 純粋さの大切さを無意識に感じ、心を広くもてる人生になるのだと。 オトナの雑念を振り払い、寛容な心、純粋な気持ちで見てほしい。 偏見とか、邪念は如何に無意味なことか、知ってほしい。 見終わった後、心の奥に何かを感じ、大切なものを感じれば、 人生は心豊かになると私は信じたい。 公開当時、子供の頃に、この映画が上映されて、 子供の頃に見てよかったのかもしれない。 それがオトナになっても心にいい形に残り、 子供の頃にあった純粋さが時には心の糧になることもある。 この映画は娘にも間違いなく見せるでしょう。 そして、純粋さが、いつかは、 オトナになっても心の糧になることを知ってほしいから。 そして、映画の持つ力を感じてもらいたいと、 一緒に、この映画を見る日を楽しみにしているのであります。

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