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にんじん (1932)

POIL DE CAROTTE

監督
ジュリアン・デュヴィヴィエ
  • みたいムービー 9
  • みたログ 53

4.24 / 評価:17件

「ルピック夫人」

  • hoykita194 さん
  • 2009年6月7日 21時30分
  • 閲覧数 1100
  • 役立ち度 13
    • 総合評価
    • ★★★★★

 原作は、ルナール(1864-1910)の名作「にんじん」(1894)。

 母親の愛というのは、近年、一種のタブーに近い神話になっている。
 母親は、一人の例外もなく、自分の子を愛している(はずだ)。
 子は宝だ。目に入れても痛くない。
 そう言っておけば、共感をもって迎えられる。
 逆に、ウソでも、そう言っておかなければ、白い目で見られる。人非人扱いされかねない。
 母親のくせに。

 怖い社会だと思う。
 誰にとって怖いのかというと、もちろん母親自身にとって、だ。
 そうした道徳的神話は、一部の母親にとっては、正義を笠に着た脅迫になるからだ。過度の精神的重圧を強いるからだ。

 なぜ、ルピック夫人は、にんじんを目の敵にするのか。
 ふつうなら、最後に、じつは、夫人はやはりにんじんを愛していたのだ、という落ちが付いて、しゃんしゃんとなる。これは、談合か八百長みたいなものだ。
 いちおうの理由付けは、両親の愛がすっかり冷め切ってから生まれた子だから、となっている。この理由付けは、もちろん形式的なものだ。

 子供が嫌いな母親が、いないはずはない。
 子供を自然に愛せる、恵まれた母親(!)ばかりではない。
 しかし、ルピック夫人のにんじんに対する冷酷さは、度を越している。
 それは、ひょっとしたら、子供嫌いの自分に負い目を感じている母親たちにとっては、私はまさかルピック夫人ほどではないという、一定の安堵感を与えるかもしれない。

 じつは、この物語では、実際にルピック夫人のような母親がいるかどうかということが、重要なのではない。
 むしろ、そういう母親を、原作者のルナールが造型したこと自体のほうが、重要だ。

 ルナールは、ルピック夫人を書きたかった。
 そして、ルピック夫人にいじめられるにんじんを、なんとしても、描いておきたかった。
 それは、ルナールの固い意志だ。
 そうすることによって、あるいは、みじめな子供時代の自分自身を、救い出したかったのかもしれない。

 そして、もっと大切なことは、「にんじん」が、フランスで、文学としてきちんと評価され、舞台で上演され、こうして映画化されていることだ。
 ルピック夫人のような母親を登場させた作品が、一部からこんな母親はありえないと非難されても、大方の目に、すぐれた文学として高く評価され、許容されていることだと思う。

 皆が皆、子供はかわいいと口裏を合わせ、そう言っている自分の優しさに臆面もなく酔い、逆もあり得る現実を無視して、澄ました顔をしている社会は、けっして住みよい社会ではない。そういう社会こそ、病んでいる。

 にんじんは、自分の両親を、ルピック氏、ルピック夫人とよぶ。
 家庭とは、互いに理解し合えない人間が、無理やり集まっている場所だ、と考える。
 にんじんは、冷たい両親のおかげで、少年にして、いっぱしの哲学が語れる。

 名前は、フランソワだ。
 しかし、母親がつけた「にんじん」という蔑称に、あまり抵抗を感じていない。自分の人間性から判断して、相応だと思っているのだ。
 にんじんは、自分がいじけた子供であることを、すでに、きちんと自覚している。

 父親が村長に当選し、その祝賀会があるからおまえもおいでと、思いがけなく言われて、にんじんは、楽しみにして会場へ行く。
 それは、ごちそうにありつけるからではなく、ルピック氏が、父親らしい言葉をかけてくれたからだ。

 ところが、ルピック氏は、客の相手で忙しく、隅に捨ておかれる。にんじんは、しだいにいたたまれなくなって、会場を後にし、自殺を決意する。
 父だけは、ぼくを気にかけてくれるようになったと思ったのが、そもそもの間違いだった。
 やっぱり、ぼくはただのにんじんで、どうでもいいんだ。

 この映画は、ルピック夫人を中心にして動いているといえる。
 デュヴィヴィエ監督は、とことん憎たらしいルピック夫人を、描く。
 にんじんが自殺を図っても、どうせ同情を引くためだ、どこまで性根が腐っているのか、とまで、言う。
 中途半端な善人になってもらっては、かえって困る。

 この映画は、ルピック夫人を徹底した悪として描くことによって、にんじんが置かれた状況を、鮮明に浮かび上がらせた。
 この作品が名作になったのは、その一点にかかっていると思う。
 それがなければ、ルピック氏との和解も、人情話に終わってしまう。
 その一点で、「にんじん」は、ふつうのいい作品から、名作に変貌する。

 ルピック夫人は、一種の絶対状況の比喩だと思う。
 にんじんは、その絶対状況にぶつかることによって、死の危機に直面しながらも、ふつうの子供が学べない、たくさんの貴重な経験と、思索する力を手に入れる。

詳細評価

物語
配役
演出
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