過酷な都会に生きる2人
- rup***** さん
- 2019年11月4日 23時31分
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地方都市ミルウォーキーから都会で成功することを夢見てニューヨークへと長距離バスでやってきたサックス・プレイヤーの青年ピート。
彼が立ち寄ったバーには、同じく数年前に地方からニューヨークへ出てきた若い女性ペギーが氷をもらいにやってきて、日々の生活に疲れたペギーの姿と希望を抱いて意気揚々としたピートの姿が対照的に描き出されていきます。
ペギーは、ニューヨークの厳しい都会生活に打ちのめされ、あちこちから借金をして何とか食いつないでいる状況で、借りているアパートを今日にも追い出されようとしている。
たまたま、彼女の部屋をピートが借りることになり、2人は鉢合わせ。
追い出されても行くあてのないペギーのことを見かねて、ピートは共同で部屋を使うことを提案し、見ず知らずの男女が突然1つ屋根の下で暮らすことになります。
都会の恐ろしさを何も知らないピートは、ペギーが予想した通り、ミンクと騙されて安物の毛皮をつかまされるばかりか、声を掛けられて訪れたオーディションでは、持っていた楽器をすべて盗み取られてしまい、ペギー同様に一文無しとなり、ニューヨークの『Rat Race(過酷な生存競争)』の洗礼を浴びることとなり・・・。
本作の製作は、「三十四丁目の奇蹟」「喝采」「先生のお気に入り」「36時間」等々、地味ながらも堅実でウェルメイドと呼びたい作品を世に送り出してきたウィリアム・パールバーグ&ジョージ・シートンのコンビによるもので、通常はシートンが監督(多くの場合、脚本も兼任)をするのですが、「トコリの橋」や「胸に輝く星」などのように、他人に監督を任せるケースもあり(本作もそれに当たります)、浮ついたところのない地に足のついた作風という点では共通しています。
さらに、監督が「アラバマ物語」を手掛ける前のロバート・マリガンで、きめの細かな演出に定評のあるマリガンだけあって、過酷な都会生活にあえぐ若者2人の姿を、奇をてらわず丁寧に描き出しているのが素晴らしい。
ピートの役は、トニー・カーティスが演じていて、年齢的にトウが立った感じは否めないのですが、トニーの少年らしさを残した軽めのキャラクターが地方出身の世間知らずの雰囲気を上手く醸し出していて、違和感なく見ることができます。
そして、トニー以上に印象に残るのは、ペギー役のデビー・レイノルズで、明るく元気溢れる従来のイメージとは異なり、直面する現実に今にも押しつぶされそうになっている1人の若い女性の等身大の姿を堅実な演技で表現しています。
滞納続きの電話を取り外しにやってきた工事人に媚を売って、デートをするからと空約束をして帰ってもらうというような切羽詰った様子や、楽器を盗られたピートに何とかオーディションを受けさせてあげたいと、この一線だけは超えるまいと堅く自分に誓っていた体を売る仕事をするという約束と引き換えに、彼女がホステスとして働いているダンスホールの経営者ネリーから金を借りるくだりでの苦渋に満ちた姿が印象的。
そういう状況下でも、自暴自棄にはならずに、とことんまで自尊心を保ち続けようと頑張るペギーは、デビー・レイノルズにふさわしい役柄といえるのかもしれません。
そんな2人を見守る人たちもいて、1人は、ジャック・オーキーが演じるバーのマスターで、都会で長年生き抜いてきた先輩として、ペギーに静かに人生の機微を語る場面なんかがいいですね。
もう1人はケイ・メドフォードが演じるアパートのオーナーの女性で、金に厳しくて冷たく感じる部分もある反面、2人のことを気にかけずにはいられない様子が微笑ましく映りました。
ガーソン・ケニンの舞台劇が原作(脚本もケニンが担当)で、悪いことがあった後すぐに、オーディションの話が舞い込んだり、盗まれた楽器が出てきたりするというちょっと都合の良い展開もあるのですが、いわゆる舞台劇臭さを感じさせることなく映像化できているのは見事で、翌年にデビーが出演した「結婚泥棒」と同様、パールバーグ=シートンのプロデュースによる良質な部分が堪能できる作品ではないかと思います。
<本作は、WOWOW(2000年3月放送)の録画ビデオで再鑑賞しました>
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