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愛と復讐の挽歌・野望編 (1987)

江湖情/RICH AND FAMOUS

監督
テイラー・ウォン
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3.36 / 評価:14件

浮かび上がる家族の物語

  • lamlam_pachanga さん
  • 2011年4月26日 16時58分
  • 閲覧数 350
  • 役立ち度 1
    • 総合評価
    • ★★★★★

前作の『愛と復讐の挽歌』は、『男たちの挽歌』のヒットに便乗して製作された香港ノワールではなく、その公開前からチョウ・ユンファが出演契約をしていた映画でした。そのブーム(ユンファ人気)に便乗したのは、映画を前後編に分割したこと。この『愛と復讐の挽歌・野望編』が生まれたのは、単に商業上の理由からです。

本来は一本の映画だったわけですから、当たり前ですが、物語の筋は破綻がありません。その上で、復讐譚としての香港ノワールの印象だった前作とは違い、この映画が実はある家族の物語だったのだと言う印象を受けるのは、その公開順が影響しているのだと思います。

このシリーズは、香港でも日本でも、『愛と復讐の挽歌』→『野望編』の順番で公開されましたが(日本では『野望編』はビデオ・スルーだったような)、ストーリーの流れとしてはこの逆(『野望編』→『愛と復讐の挽歌』)です。

この戦略は、巧かったと思います。

映画的に客を呼べるのは、大銃撃戦のカタルシスを味わえる前作の方です。本作は、本来は物語の起点が描かれているだけのため、どうしても映画的興奮を欠きます。

この点を見越して、先に『愛と復讐の挽歌』を公開し、『野望編』を後にもってきただけでしょうが、それがもうひとつの効果をもたらしたのです。

それが冒頭書いた、物語の印象の変化。

本来は一本の映画の冒頭部分である『野望編』ですから、続編としては単なる前日譚になるのは回避しようがありません。

本作に描かれるのは、ユン(アレックス・マン)とクォ(アンディ・ラウ)のふたりが、どうして黒社会に入り、反目するに至ったのかと言う部分。その過程として、サイ(チョウ・ユンファ)の存在があり、さらにクォの親友インホン(アラン・タム)の存在があったことを知ります。

個人的に、映画として面白いのは前作だと思いますが、好きな方を問われれば『野望編』だと答えるでしょう。

とは言え、本作も安っぽいメロドラマに終始するのは、監督のテイラー・ウォンの限界でしょう。この人は、結局ステレオ・タイプの演出しか出来ない人。

同じ香港ノワールの監督としては、様式美を確立しているジョン・ウーやジョニー・トーとは全くタイプが違い、どちらかと言えば、リンゴ・ラムや、或いはその先駆けであったジョニー・マックに近い。

但し、リンゴ・ラムの演出の要諦は、細かなドラマの積み重ねでキャラクターの心を描くことにあり、ジョニー・マックはそれは、より欲望をストレートに映しながらもキャラクターに背景を与えることにある。

ふたりの描くキャラクターに安っぽさがないのは、そこに行動原理を与えているからなのです。

翻ってテイラー・ウォンのキャラクターには、この行動原理がない。だから、非常に薄っぺらい人物に映る。

『野望編』は単なる復讐譚の香港ノワールと言うだけでなく、ある義兄弟の、さらに言うならある家族のドラマでもあります。それだけに、キャラクターたちの心が描けていないと物足りなさが残る。

この欠点をカバーしてくれているのは、実質的な主人公であるユンを演じたアレックス・マン、瑞々しい若さを発散するアンディ・ラウ、落ち着いた貫禄を見せるチョウ・ユンファ、そして物語の起点を担うアラン・タムの存在。役者本人の魅力も、映画には欠かせない要素であることを痛感します。

特にアレックス・マンの野心溢れる陰湿で卑小な男っぷりは、ステレオ・タイプな物語だけに、本当に素晴らしいの一言。

『野望編』は、所詮は、物語の冒頭部分ですので、香港ノワール本来の興奮を味わうには物足りない映画です。但し、前作で彼らの末路を知っているだけに、演出意図にはない悲壮感を脳内補完することが出来ます。

未見の方への私なりのアドバイスとしては、観る順番は、やはり『愛と復讐の挽歌』→『野望編』のままが良いと思います。

時系列通りに観たのでは味わえない、哀しい物語が観たいのであれば、ですが。

詳細評価

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