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ハイ・シエラ

ハイ・シエラ

HIGH SIERRA

100

spa********

5.0

ウォルシュと死

このラオール・ウォルシュと言う作家はちょっと不思議な作家で、アルフレッド・ヒッチコックなら「ヒッチコックタッチ」、はたまた、そう呼ばれているかどうか分かりませんがフリッツ・ラングなら「ラングタッチ」といった、作家の刻印がないにもかかわらず、画面に溢れんばかりに現れる「死の匂い」によって、その作家的刻印を見ることができる。 ヒッチコックのヒッチコックを抜いた画面、ラングのラングを抜いた画面で、これほどまでに驚き興奮できる作家もそうはいない。それらの欠如は、つまり優れてはいるものの、驚きや興奮を欠いた、極めて優れた映画でしかないはずなのに、それ以上の不思議な力によって動揺を隠しきれないほどの画面が展開され、ウォルシュを特別な死の作家としてしまっている。 ヒッチコックは物や人に、つまり個体に、ラングは雨や霧に、つまり空気中にその作家的資質を見ることができる。つまり、それらは作家の意識的な演出である事は間違いなのだが、ウォルシュの場合はどうだろうかと考えたら、死の匂いに対して意識的なのかどうかは正直分からない。なぜなら、それ相応の作家的個性を感じる演出と言う物が不在なのにもかかわらず、それが画面に定着してしまう。もはや、ウォルシュが生まれたときから体内に持っていた不思議な力としか思えないほどの、説明のつかない出来事のような気がする。 もうそろそろ今作について触れようと思います。先にも書いたように、「死の匂い」が最大の見どころであることは言うまでもないですが、何よりも感動的なのは、ボギーが拭えないほどの死の匂いに包まれながら、死に向かって加速し続ける、その身振りにあります。 死に向かって、転げ落ちるでもなければ、転落するでもない、意識的に絶望的に死に向うでもない。まさに、加速するように死に向かう。そこに、意識はあるのか?それは、分からない。でも、ここで加速するボギーには肌感覚でそれが分かっているかのような、そんな印象を受ける。その、肌感覚で死を感じているボギーがそれに向かって加速している姿に、映画的興奮を覚えずに、何に興奮する。 愛した女を手に入れられないボギーも、新たなメロドラマも、これほどまでに死の匂いに色気を与える細部もあるまい。メロドラマと死との密接な関係が演じられている犯罪映画こそ、真に感動的な犯罪映画なのだ。本作をウォルシュ最高傑作として認識させるのは、ウォルシュの不思議な刻印「死の匂い」とその加速、そして、最も高まった色気にある。 そして、最後のギャング映画とも言われる今作は、あの伝説のボギーの初主演作でもあるのだ。最後であり最初であり、そして最高である今作は、傑作以上の何かがある。

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