2008年7月12日公開

8 1/2

OTTO E MEZZO/HUIT ET DEMI/EIGHT AND A HALF

1402008年7月12日公開
8 1/2
3.9

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作品情報上映スケジュールレビュー

作品レビュー(99件)


  • mim********

    3.0

    まだ、わからない、、、

    まだ、ということはいずれわかるのか、 いや、わかりきれないかもしれない。 ということで、各評価できず。 ただ、自分の愚かさを知れ!ということであれば、理解できる。 ワンシーンワンショット、アーティスティックということで評価。 あっ、『ウエスタン』を見た後なので、クラウディアカルディナーレがまるで別人のように思える。ウエスタンでは、強き女性を演じているがこの映画では初々しく清楚。

  • 倉野 大介

    1.0

    頭が悪い人にはウケそう

    意味のない映画です。 監督の自己満足映画です。 ストーリー、セリフ、配役、全てバラバラで無意味です。 これを評価している人達を見て、監督は嘲笑っているでしょう。観客に向けたテロ映画です。 つまらないを通り越して、悪夢の時間でした。

  • kaz********

    3.0

    映画監督の創作上の苦悩は分かるが

    映画を創るって大変なんだなということが分かる映画だが、この作品がなぜ高い評価を得たのか分からない。フェリーニ得意の大がかりなセットや騒々しさが早口に語られるだけで面白くない。  映画監督のグイドは治療のために湯治場にきていた。新作の構想に行き詰まりクランクインは15日も遅れていた。そこで脚本家や友人の意見を聴くが考えはまとまらない。そこに愛人や役を欲しがる女優などが集まって彼の頭は一層混乱する。枢機卿に拝謁したグイドは、幼い時に海辺に住んでいたサラギーナにルンバを踊らせて、修道士たちに追いかけられたことを思い出した。妻のルイザが湯治場にやってくるが、愛人のカルラとグイドが親しくしているのを見たルイザは不機嫌になる。出演者一同はセットに組み立てられた宇宙船の発射台を見学したりする。そして、そのセットの現場で映画についての記者会見を行うことになったが・・・・・・・。  最後、現場で出演者一同が踊って幕というのは訳が分からない。フェリーニ自身の体験談をそのまま映画にしたということだろうか。

  • sou********

    4.0

    フェリーニのフェリーニたる混乱!?

    ホント、フェリーニらしい映画だよなぁ…。混乱というか、カオスというか。 この映画そのものを撮影しているのが主人公のグイドのようであり、あくまでもこの映画に芸術性を求めて撮影しているのがフェリーニ自身のようであり…。 「理解出来たふり」迄しか不可能な気がする内容。 映画の中のセリフで、理解し難い世界観を描く事を示唆しているし、意図してそうしたのか、フェリーニのホンネの吐露なのか混乱を描いている。 僕自身、若い頃にガテン系のバイトをしていたが、そんな世界には絶対に現れない精神性で、汗をかいて構築するものと対極にある、真理の深層を極めるために巻き起こる混乱だと思う。 ガテン系には簡単な答えだ。「ツベコベ考えないで動け!」身体を動かして汗をかけば、少なからず終わりに一歩近づく。建物を建てるにしろ、倉庫に物を運ぶにせよ。 世の中って、哲学的思考を置き去りにして「とりあえず一歩踏み出す」事の方が分かりやすく理解してもらえる。思考の世界は、あくまでも思考の世界だと思うのだ。 ハッキリと言えば、「勝手に苦悩している道化」だ。 だが、そこに浮かび上がる疑問、妄想、思い出す幼児体験、現実、人生の構築と過ち、理想世界の表現、恋愛と性欲の混同…自分の殻にこもったモノを洗いざらい吐き出せば、こんな映画になるのかも(笑)。 ラストシーンなんか、奇妙な事に笑ってしまった。 こんな世界観を生み出す土壌に興味が湧くよね。 この奇妙な映画をじっくり観れる理由は、間違いなく映像美にあると思う。ホント唯一無二のセンスだと思う。ニーノ・ロータの音楽とフェリーニの映像世界が混じり合えばマジックが起きる。彼お得意の道化師の世界観だ!

  • takamath

    2.0

    黒縁眼鏡のアヌーク・エーメに観入るだけ

    2時間20分の作品だが、1時間20分ぐらい寝落ち気味でまともに観れていない。 退屈だった。 後の映画人に多大なる影響を与えた、とのことだが、そう言われてもイマイチ、ピンと来ないし納得感も無い。 影響力がある作品、ということなのか、でも、つまらない。 オシャレなのかどうかはオシャレじゃない自分には分からないが、当時はオシャレだったのだろう。 いま観ている限りではダサいとまでは言わずとも、特にオシャレなわけでもないと思う。 たくさんの女優さんが出ているが、映画の内容同様イマイチ、ピンと来ない。 ただアヌーク・エーメだけが、ほぼ全編で黒縁の眼鏡をかけていて、そのインテリジェンスな佇まいが、セクシー。 ついつい観入ってしまう。 映画がつまらないと、2時間プラス移動時間等々で、なんか時間の損失に自己嫌悪し、過剰なリアクションするのにまた自己嫌悪してしまう。。 20200802 恵比寿ガーデンシネマ

  • qaz********

    2.0

    ビートルズに通じるシュールさ

    新しいパソコンがブルーレイが見れるので月曜にTUTAYA馬事公苑でレンタルし鑑賞しました。 ビートルズに通じるシュールさです。

  • エル・オレンス

    5.0

    ネタバレフェリーニの大魔術!

    このレビューにはネタバレが含まれています。
  • mos********

    5.0

    いろんな創作の元ネタ

    いまおもえば、昔は凝った映画があった。 現代人は忙しくて美学に与していられない。端的に面白がらせてくれる映画を好む。──ということ、なのかもしれない。 8 1/2を見返していると、その到達している値に感心し、ペーソスに共感する。 車の上で両手を開き帆のように風を受けているグイド。陽気にダンスする醜女サラギナ。黒縁をかけて黒いカウボーイを被り、シーツをトガのようにまといムチを振るグイド。マントを背に楽隊を連れて行進する幼グイド。それらは教典のように一般化したシンボルであり、こんにちの映画に、そのようなキャラクター設定を見ることはできない。 が、見ていて、正直な感想としては、まどろっこしい。 評点するなら、名画には天井がない。 が、じっさい見ていて、どうだろう。アベンジャーズのほうが楽しいんじゃなかろうか。古典と現代の映画の間には、この種のジレンマがつきまとう。新しけりゃいいってもんじゃないが、巷間ではつねに新しい映画が価値をともなう──わけである。 ただ個人的には、古典名画を面白かった/面白くなかったという観点だけで評点してしまえるほど、強くはない。 そもそも、古典に描かれた人情に与しなくなったのは、それが経年のあいだに、数限りなく模倣されてきたからだ。 誰の幼少時代にも、どこかにかならず存在する淫奔なサラギナや、ひとりになって幕間に消える子供のグイドが、それほどの哀感たりえなくなったのは、たんに、わたしが、年をとって、その間にもさまざまな創作に触れてきたからだ。そのことを度外して、古典に現在評価をつけることはできない。それは強いというより、不遜なことだと思う。 まったくのところ、現代社会から見るとき、グイドの低回や周囲にたいする狭量は、どうでもいいようなポゼッションに基づいている──と思う。感傷も過ぎる。 が、それは、わたしが苦悶する主人公という設定に、数限りなく触れてきたからにほかならない。 そして、なぜ悩める映画監督が、冗長なキャラクターになってしまったかといえば、世界中の人々が8 1/2のグイドのキャラクターを愛し、影響を受けてきたからにほかならない。 すなわち古典がまどろっこしく見えるのは、フェリーニが愛され、数多の創作の主人公のなかに伝播して宿ったからだ。──と思っている。 そもそも古いものを見て「古い」という感想を持つなら、古い映画を見たりはしない。映画と自分の間、1963年と今の間、それを埋めるのは鑑賞眼そのものである──と思う。 映画は、縦横に寄り道し、アイデアをはらみながら、言いたいのは追憶と悔恨であろう──と解釈している。 やくたいもない大人になって、振り返ってみると、愛憎と慚愧だけがあって、子供時代を脱してから、純心だったことはひとつもない。──という普遍の気分が描かれている。 がんらいペシミスティックな映画だが、フェリーニはほんとは道や崖のように、絶望に費えるのをやりたかったのだが、興行観点から多少の希望をかいま見せた──ような気がした。

  • hsa********

    5.0

    傑作、不完全ボウシ映画

    フェリーニが好きだ、と言えば、ある程度の教養が認知される時代は今も継続中なのだが、ほとんどの映画にまつわる言説が空回りし続けていることは特筆すべきことだろう。 この映画を分析することは、かなり困難を伴うのだが、その理由は例をあまりみない脚色力にある。 表面上、ボウシとメガネの映画に見えるがほぼ機能はしていない。その無償の装飾性が際立つのみだ。 この装飾性がこの映画の特徴であって、脚色の装飾性を裏付ける。 重層的な物語と思考は、映画絵巻とでもよびたくなる編集の巧みさと大胆さで、オーソンウェルズ的世界の模倣を試みているようにも見える。 物語的には、好色一代男の破滅とアイデアを失った映画監督の悲劇が同時に語られる。この程度の物語をこのように独創的かつ個性的に語る事ができるこの監督を天才と呼ぶことはモチロン自由だ。 だが問題はその先にある。 物語と同時に、映画と何か、という問いがあるのだ。さらに魂の浄化は可能かという命題まで追加されるのだ。 多くの観客がこの辺で諦めるのだが、フェリーニは続ける。 ワンカットワンカットの繋ぎあわせにすぎない映画が、なぜ面白かったり面白く無かったりするのか。 フェリーニは羅列と逸脱にその方法を見いだしているのだが、正解かどうかはアヤシイ。 この映画の羅列ぶりは前作、甘い生活、同様凄まじいのだが、逸脱ぶりは前作とは異なる。 前作はパーティーシーンに象徴的なカオスと呼びたくなるシーンが主人公の内面のカオスも表現するような仕組みだったが、この作品は幻想シーンが主人公の内面のカオスを表す。 有名かつ今でも面白い冒頭の渋滞、上昇、落下シーンを始め、浜辺の巨女のダンス、クライマックスの自殺、群舞と見所たくさんでサービス精神満点だ。 ミュージカル映画としての側面もあり、やりたいホウダイなのだが、やりたいホウダイやってくれてアリガトウと言いたい映画だ。 音楽が無ければほぼ半数の観客だったであろうこの映画で、ボリュームが明らかに変わる所が2ヶ所ある。 前半のトイレで電気をつけると、ワルキューレが流れ始め、保養所の老人達とともにボリュームが上がる。そして終盤、ロケット発射台のシーンで、白いカーテンが開くと群衆が階段を降りてカメラに向かってくる時にもボリュームが上がる。こうした繋ぎ、盛り上げのセンスに今もって驚く。 もうひとつ、浜辺で巨女が踊るシーンは長調だが、そのあと同じ曲を短調で口ずさむのだが、何度見ても素晴らしい。 映画的に機能しているのは、主人公が机の下に逃げ込むという習性のみだと思うが、主人公はいったい死んだのか、死んで無いのか。 映画全体がメタフィクションの構造なので、主人公の生死はどちらでもよい。 クライマックスの有名なダンスシーンを祝祭空間と呼びたい人はそれでよい。ただ、仮死の祭典と呼んだほうが正解に近いだろう。フェリーニもマストロヤンニもすでに亡くなっているが、彼らの死は我々にとっては仮の死ではないだろうか。仮死の祭典こそフェリーニが掴んだ映画の本質だといえる。 長文になってしまったが、最後まで読んでくれた方に、アリガトウ、と伝えたい。

  • yjr

    4.0

    難解だが、映画の枠を越えた芸術

    作中作の構成で、マストロヤンニ演じる映画監督の苦悩を描く。駄作を作るくらいなら作らなければ良い、という結論の末に作られた映画。

  • a10********

    5.0

    面白かった

    マルチェロマストロヤン二が素敵。 魔術師などの演出が幻想的。

  • コトリ

    4.0

    最後はエヴァンゲリオン

    始まって75分経過までは頭の中が混乱して話しが全く見えなかったけど、だんだん夢中になりました。 唐突に回想シーンや、幻想シーンになるので現実との境が上手く見分けられなかったのですがだんだん慣れます。 本当の最後のシーンは白い服を着た人々が列車に乗ってる映像だったそうな。 そこはカットして本編は輪になるシーンで終わり。 嘘つきの優柔不断な監督の現実逃避がたっぷり見れました。 面白かったです。 私には新しい映像だったので頭を揺さぶられる感覚でした。 好きです。 道が初心者向けというのがよく分かりました。

  • tos********

    4.0

    すごい作品を観た。

     次回作の撮影準備をしつつ、湯治場で療養している映画監督グイド。様々な人間や要素が重なり、彼は混乱していく。  タイトルは、共同監督を1/2として、フェリーニ監督作品の8 1/2(はっかにぶんのいち)作目の意。芸術系の作品は苦手です。けど、最近観てるフェリーニ作品は、後の作品に多大な影響があるためか苦になりません。ちょうど、難解な現代音楽はわからないけど、モーツァルトなどは耳なじんでるような感じか。  現実、虚構、回想、多数の人物、美女たちが入り乱れる「映画製作の修羅場」に、主人公に同様陥れられます。「中学生のようなドキドキ」を味わい、観た後の明るい清々しさが本当に奇妙でした。監督がこんな女を愛人に?と思ったら「あんな女」という。「孤独な自我」、カトリックとファシズム、「嘘も現実」 印象的なセリフも数多い。音楽は、ニーノ・ロータ。でも、序盤不自然な場面でワルキューレが使用されるのは、後の伏線のため。  古代イタリア人も塩をまくのか。アゴスティーニ、デアンジェリスは多い名字なのかな。

  • oki********

    5.0

    深層心理をイメージで紡いだ

    心は言語よりむしろ、むしろイメージで出来ているんじゃないだろうか。 だから、論理よりイメージによる展開の方が、心を正しく映像化できる。 つまりシナリオでなく、映像そのもので構成されている、というのがこの映画の構造だと思う。 撮影現場というドタバタの中で起こるさまざまな事件の中で、主人公の心の奥に鋭く迫っていく。 その中にも、面白いエピソード、不思議なエピソード、スリリングなエピソードが散りばめられ、主人公の想いもめくるめく展開していく。 その語り口、イメージが軽妙で魅力的であることも、本作の成功の大きな要素だ。凡庸なイメージの連鎖では、心は正しく伝わるかもしれないが、面白い映画にはならない。 フェリーにだからこそ作り得た傑作といえると思う。 見た感じ分かりにくいかもしれないけど、フェリーには非常に計算高くイメージを構成している。 登場人物の台詞一つ一つが深くリアリティをもっているし、その気持ちの流れに、全く嘘も違和感もない。 深層心理やイメージを、勘で構成しているわけでなく、映画として、映像として構成し、成功している。 その後、多くの映像作家が同様のことを試みているけど、本作にはなかなか及ばないのは、 イメージの連携を、勘に頼ってよしとしてるからではないか。 人は心を直接理解できないので、言語を介して人に想いを伝えるけど、イメージによって心を伝える可能性を示した=映像言語としての可能性を切り開いた、記念碑的な作品ともいえるのでは。 男の深層心理を、かくも深く赤裸々に、正しく表現し、映画として魅力的になった作品を、他に知らない。

  • qts********

    5.0

    これが一番

    何が一番好きか?と訊かれて「これが一番好きです」とこたえられるものは中々ありませんが、映画でどれが一番好きかと尋ねられたら絶対にこの作品を挙げます。 私小説的というか視点があまりにも作家自身に寄りすぎているのであわない人にはとことんあわないでしょう。 話自体はとるに足らないように思えますが素人目にもカット割り、セットの使い方など大胆で見応えのある映像。 そしてあの「人生は祭りだ。」そのセリフで、生きる意味を示唆してもらえたような気がします。 10代のころから繰り返し見ている作品です。 強引とも言えるノスタルジー。作家とは全然違う境遇なのになぜか懐かしさを感じずにはいられない。

  • tu_********

    5.0

    ネタバレエヴァへの影響を強く感じる

    このレビューにはネタバレが含まれています。
  • _et********

    5.0

    フェリーニの最高傑作

    まさにドント・シンク・フィール=考えるな!感じろ!(李小龍in『Enter The Dragon』)な映画。 ああ!クラウディア!カルディナーレ!(*´Д`*)ハァハァ

  • jjt********

    5.0

    今作られても傑作枠

    50年以上前に作られたのに、今尚評価されているどころか類似品さえない作品。NINE?知らないよ!そんなクソ映画。 とにかくシュールな感覚が爆発して芸術となり得た、偉大過ぎる映画の数多くのテンプレをぶち壊した田舎出身のイタリア映画監督の代表作。取り敢えず観ろ!

  • nyj********

    3.0

    映画監督と彼の周りの人々との葛藤

    結構観るのにしんどさを感じた。古い映画で2時間以上もある長い映画、ストーリー性は乏しく映画界の人びとと監督の交わりをなんとなく描いている。当時の絶世の美女である女優たちもたくさん出演していて華はある。見終わって、映画製作とは多数の人が絡み難しいものだということは感じた。アカデミー賞を受賞するだけはあると思うが何度も見たいとは思わない映画である。

  • bar********

    5.0

    ネタバレ人生はカーニバル

    このレビューにはネタバレが含まれています。
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