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悲愁 (1979)

FEDORA

監督
ビリー・ワイルダー
  • みたいムービー 12
  • みたログ 41

3.59 / 評価:17件

辛辣に書いたけど、かなり面白い作品です。

  • maxime_du_camp さん
  • 2007年3月18日 0時43分
  • 閲覧数 811
  • 役立ち度 5
    • 総合評価
    • ★★★★★

良くも悪しくもビリー・ワイルダーなのだが、この作品は事実上の遺作といってもいいのかも知れない。この後、最後に撮った作品は箸にも棒にもかからないものだったみたいで、日本公開もされていない。いわゆるワイルダー・タッチというものをオレは理解できない人間だ。『フロント・ページ』を劇場で見たときに何がいいのか分からなかったぐらいだ。『ヒズ・ガール・フライデー』(ホークス)と見比べて同じ原作でこうも違うものかとあきれたぐらいだ。『お熱いのがお好き』『7年目の浮気』のモンロー2部作いずれもダメ。いいのは、『ワン・ツー・スリー』と『アパートの鍵貸します』。『昼下がりの情事』『麗しのサブリナ』のヘップバーン2部作これもいい。ヘップバーンとは相性が良かったのだろう。そこで『悲愁』だ。あえて『サンセット大通り』は持ち出さない。なんとなく『シャレード』を思い出すようなドラマのはじまりだ。それと『バレンチノ』(ケン・ラッセル)。つまり核となる人物の死とその葬儀から始まる映画であった。トルストイについての会話を酔いどれ医師とホールデンが交わすし、映画プロデューサーのホールデンが持ち込んできたシナリオも「アンナ・カレーニナ」の脚色。そこで、列車に飛び込み自殺をする伝説の女優がいきなり冒頭にきた。要するに、これはシナリオの勝利なのである。やはりワイルダー・タッチには遠かったのか。飛び込み自殺した伝説の女の葬儀が華麗に執り行われて、ホールデンの回想が始まる。それから中盤に再び葬儀にもどるのだが、そこまでの前半がかなり退屈だ。マルト・ケラーの演技のせいもある。神秘の女優と言うにはあまりに俗物で、美しさの微塵も感じられない。あれでガルボがモデルといわれてもかなり困る。カリスマでなさすぎる。覚醒剤中毒らしいのだが、意味不明の不審者的行動にはしるヒステリー女でしかない。もっとも、マルト・ケラー不在の屋敷で、「私はフェドーラ」と繰り返し筆記したノートが山積みになっていたり、白手袋が大量に保管されているのをホールデンが見つけるところは、不気味だ。『シャイニング』『家族ゲーム』が明らかにこのあたりを模倣している。後半、フェドーラの化けの皮がはがれたあたりからが絶好調で、ここにはヘンリー・フォンダがヘンリー・フォンダとして、マイケル・ヨークがマイケル・ヨークとして登場するという楽しい仕掛けもほどこされて快調である。この後半で、ワイルダー・タッチは存分に発揮されたというべきだ。

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物語
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