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いちご白書 (1970)

THE STRAWBERRY STATEMENT

監督
スチュアート・ハグマン
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3.84 / 評価:107件

『プラトーン』を観た後に、もう一度。

競技用のボートを漕ぐシーンから始まるこの映画。
主人公サイモンの見た目は体育会系ってわけでもなく、スポーツに情熱をかける輩には
見えない。
舵手の掛け声が段々と早くなるにつれ、サイモンの表情は徐々に恍惚としてくる。
イン!アウト!イン!アウト!イン!アウト!イン!アウト!
掛け声はサイモンの妄想により、完全に性的なものに変わってしまう。
劇中でボートを好きな理由を友人に聞かれたサイモンは、「エロチックだから」と答える。

サイモンが行動する動機には、大義名分など無い。それは学生運動に参加する経緯にも当てはまる。
学生運動などたいして興味なかったが、見物がてらに、学生が占拠した学長室を訪れる。
そこで、先日見かけて気になっていた女性リンダに出会う。本気で活動しているリンダに
気に入ってもらえるように、リンダに合わせるかのように、食料調達係として学生運動に
はまっていくサイモン。
反戦や、国や学校への反発など、ほとんど感じていなかったサイモン。
彼を動かすのは、好奇心・下心。ご立派な思想や信念など無い。
正直な人間である。普通の人間である。まっとうな人間である。そこに共感した。

反戦や学校の腐敗を叫ぶリーダーの姿に自分の姿を重ねてみても、なんだか落ち着かない。
違和感なんてものではなく、これは自分のすることではないと確信に近いものがある。
言ってることは分かるけど、この運動が本当に正しいことなのか、それがどうにも分からないサイモン。
ここに共感した。

そんなサイモンはある日、ボート部員と諍いを起こし、これをきっかけに、フラフラ生きていたのがウソのように、学生運動に生きがいを感じだす。
タイミングよく、一時別れてしまったリンダがサイモンの下に戻ってくる。
更にタイミングよく、学校の不正が暴かれる。
ここの展開が放つパワーは圧倒的だ。
遂に学生たちが守っていた一線がプツリと切れてしまい、怒りは頂点に達してしまった。
取り囲んでいただけの警察・州兵は武力行使せざるを得なくなり、その圧倒的なまでの力に学生たちはなすすべもなく、次々に叩きのめされ引きずられていく。
サイモンとリンダも頑張っていたが、リンダが顔面を強打されたことでサイモンが逆上し、
ありったけの力で立ち向かうが、哀れなことに全く歯が立たず、映画は終幕を迎える・・・。

「ベトナムの人民を救う」というベトナム戦争の名目・理想はウソであった。
いつの間にやら戦地では「ベトナム人を踏みにじる」ことが現実となり正当化されていた。
そんな戦争に対する反戦をきっかけに起こった学生運動。
ところがこの映画でも中盤で、大多数の学生が少数の警官をいたぶるシーンがある。このシーンは見ていて胸が悪くなるほど恐ろしい。
それは、『プラトーン』でも描かれた村民虐殺のシーンとシンクロする。
なんのための戦争なのか。なんのための反戦・学生運動なのか。
その瞬間、戦争の目的も、運動の目的も関係なくなっていて、単に自分たちの怒りや鬱憤を、弱い者にぶつけているだけなのだ。
それらは結果、誰の利益にもならないし、何も生まれない。
残るのは、挫折感・絶望感・罪悪感か。

「いちご白書」の意味は、映画の中でサラッと語られる。
学部長が学生に向かって「学生の言うことは『いちご白書』だ。赤いいちごが好きだよ、と言ってる程度の他愛もないことだ。」と言い放ったもの。

この言葉が学生を蜂起させることになったのだが、声高に反戦を叫ぶくせに大勢で少数をいたぶる幼稚さ、武力で完全制圧出来てしまう学生なんて甘い甘い甘酸っぱいという、
大人の事情で世の中を動かしている連中から見た皮肉であると感じた。

でも、そんな大人にはなりたくない。出来るだけ。

詳細評価

物語
配役
演出
映像
音楽

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