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ビリディアナ (1960)

VIRIDIANA

監督
ルイス・ブニュエル
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4.09 / 評価:45件

映画が芸術たることを証明した大傑作

  • 一人旅 さん
  • 2016年9月22日 19時29分
  • 閲覧数 1599
  • 役立ち度 8
    • 総合評価
    • ★★★★★

第14回カンヌ国際映画祭パルム・ドール。
ルイス・ブニュエル監督作。

叔父の元を訪ねた修道女・ビリディアナが、ある日叔父に乱暴されたことをきっかけに、それまでの自身の生き方を一変させていく姿を描いたドラマ。

本国スペインなどで上映禁止になったという曰くつきの作品だが、映画が芸術たることを証明してみせた大傑作で、カンヌで最高賞にも輝いている。テーマはやはりブニュエルらしいもので、ビリディアナの信仰の挫折と心の変化を通じて信仰の欺瞞と限界を浮き彫りにしていく。

主人公ビリディアナは敬虔なクリスチャンの修道女で、普段は修道院で祈りを捧げる日々を送る。そんな中、ビリディアナは叔父の元を訪ねるが、叔父の性的欲望の対象とされ、結婚を迫られる。ビリディアナは叔父の申し出を拒絶するが、寝ている間に叔父に乱暴されてしまう。処女の肉体を穢されたと考えたビリディアナは修道院を去る決意を固める。神に仕える修道女として生きる道を諦めるビリディアナだが、叔父の屋敷に貧しい人々を住まわせることで、自分なりの信仰を実践していく...というのが大まかなプロット。

信仰に対する強烈な皮肉に圧倒される。
修道院の中で修道女として生きることはある意味“簡単”なこと。外部との関わりを絶った閉鎖された環境で、しかもビリディアナの周囲の人間は彼女と同じく神に仕える修道女たちだ。皆が画一的に同じ目標に向かって同じ生き方をすることが当たり前の修道院の中は安全そのものであり、彼女たちが望む通りに神に対する信仰を実践できる確実な環境である。
だが、一度外に出てしまったらそうはいかない。修道院の外側にある人間世界では、思い通りに信仰の成果を得ることはまず不可能だ。外の世界には信仰心の薄い人間だっているし、暴力的な人間だったり、欲深い人間だったり、淫らな人間だったり、修道院にはまずいないであろう種類の人間がうじゃうじゃ存在する。
修道院の中で安全に大切に培ってきた信仰心は、実際には外の世界で全く通用しないという皮肉。ブニュエルは、閉鎖された環境における完璧な信仰がある意味“自己満足的”であり、外部の現実を全く考慮していないとして痛烈に批判しているように思えるのだ。

修道院の中の世界しか見てこなかったビリディアナが、外の世界で己の信仰の無力さを痛感していく姿が絶望的。修道女時代の凛とした顔つきが徐々に崩壊し、目から精気が失われていく様も印象に残る。
そして、束ねた髪を解きほどく終盤のワンシーンこそ、信仰を自身の心の拠り所にした超然的・理想的生き方を捨て、世俗の世界へと足を踏み入れる瞬間と言える。最後の展開はテイストこそ違うものの、本作直前に鑑賞した『砂漠のシモン』と訴えたい内容は同じだ。

演出面でも卓越した才能を見せつけている。
ビリディアナが招いた貧しい人々が主人不在の屋敷で好き勝手大暴れするシーンはまさにカオスで圧巻の迫力。また、名画「最後の晩餐」風に連中が勢揃いするワンショットはもはや芸術でしょう。信仰の“し”の字もない悪言・暴力・暴食・淫行に酔いしれる人々が、名画の中のイエスと12人の使徒として描かれる。カトリック教会が怒りを露わにしたのも理解できる劇烈な演出だ。

詳細評価

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