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ビリディアナ (1960)

VIRIDIANA

監督
ルイス・ブニュエル
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  • みたログ 86

4.09 / 評価:45件

言いたいことが貧困

  • bar******** さん
  • 2017年11月11日 12時15分
  • 閲覧数 1293
  • 役立ち度 1
    • 総合評価
    • ★★★★★

ビリディアナ。ルイス・ブニュエル監督作品。こんなに挑発的な作品だったとは驚きです。

私はあまり挑発的な作品を好みませんが、その裏に一本筋が通っているならばきちんと評価しようと思っています。ですが、この作品は裏に人間すべてに対する軽蔑と、宗教的なものに対する怒りと憎しみで満たされています。

キルケゴールなどといった実存主義者とは反対の意味で、彼もまた実存主義者なのでしょう。いえ、というより、それすらも通り越して虚無主義者ですらあると思います。虚無主義とはなんら価値のある考え方ではなく、絶望した人間から染みだしてくる障壁の一つなのだと思います。

ブニュエルは、キリスト教界の欺瞞を暴いたかもしれません。しかし彼の見ているキリスト教界が、本質的などという根拠はどこにあるのか? それは彼の体験の中にしかないはずです。つまり彼が宗教に対して絶望していたのなら、どんなにキリスト教界において希望があったとしても、それを見ることができないので、彼の見ていることは本質ではないということになるのではないでしょうか。

なぜなら、物事において一方の性質が支配的になるということはほとんどあり得ないからです。それは彼の幻想に過ぎず、一方的な押しつけに過ぎません。

私がこのように断言するのは、彼の世界観には、その後の展望がまったく見えないからです。つまり今ある秩序を破壊しただけで、再建しようとはさっぱり思っていない、むしろ秩序などというものは人間には不要という立場です。しかし秩序無しでは人間は生きられません。ブニュエル氏もそうです。彼はその後の世界をまったく真面目に考えていません。自分でそうする気がないことを、他人に説くのは、エセ学者のすることです。

人間以上のものをまったく無価値であると説こうとするのは勝手ですが、それはまったく真実ではないと思います。むしろ価値あるものもあれば、真実でない、比較的価値の無いものもある、そういう混沌とした世界が真実だと思います。

であれば、ブニュエル氏のしようとしたことはまったく低級でくだらないことだと思います。キューブリックとまったく同じで、彼らはアンチテーゼを世界に突きつけて、穿ったことを言い、それで何か立派なことをした気になっているが、それは違います。

むしろ破壊者には創造が求められます。その後の世界を形づくる義務があるのです。そうでなくてはただのはた迷惑なエセ道学者となんら変わりはありません。

彼らに宗教以上のものを求めても、返ってくるでしょうか? いいえ、必ず知らんぷりして逃亡するに違いないでしょう。だから私は彼らの実力は認めても、決して好きにはなれないのです。

言いたい放題いって、じゃああなたが創造者になってください、と返すなら、彼はすぐに「適任ではない。承諾しかねる」といって、自分の発想の貧困さを露呈するでしょう。彼らはどんなに社会を軽蔑しても、社会に手を加えて現実的な問題と闘おうという気が一切ないのです。希望を持っていないからです。

どんなに社会に疑問や問題を感じたとしても、その現実にとことん打ち込んでみなくては、その「味」や「難しさ」はわかりません。むしろその「味」が美味だというのに、なぜこういった人びとは、自分で苦労して絶望を高めることを厭いながら、口だけは達者なのか理解できません。

詳細評価

物語
配役
演出
映像
音楽

イメージワード

  • 悲しい
  • 絶望的
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