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愛のアルバム (1941)

PENNY SERENADE

監督
ジョージ・スティーヴンス
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3.13 / 評価:8件

愛情の無根拠

  • 文字読み さん
  • 2010年1月25日 0時50分
  • 閲覧数 453
  • 役立ち度 3
    • 総合評価
    • ★★★★★

1941年。ジョージ・スティーヴンス監督。離婚目前の妻(アイリーン・ダン)が思い出のレコードの数々をかけながら過去を回想していく話。夫(ケイリー・グラント)との出会い、日本への出張、妊娠と流産、新聞社経営と養子、そしてその養子の死。二人目の養子をもらって別れずにすんで終わるのですが、どこか奇妙でちぐはぐな映画でした。子育ての仕方を知らない男女がとまどう「子育てコメディ」であります。

愛情を育てるには子どもが欠かせない、というメッセージがあるのはわかるのですが、二人の愛情を維持するために養子をもらう、というのが気にかかります。アメリカでは当たり前の養子制度も日本ではどうも血縁信仰が強くてすんなりいかないからでしょうか(とはいえ、日本の戦前の家制度では養子は当たり前だったんですが)。「子はかすがい」をはるかに越えて、そもそも埋められない男女の深い溝を子どもの存在で無理矢理埋めようとしているかのようなのです。つまり、そうまでして維持するべき二人の愛情にはそもそも根拠がないということになります。

そういえば、そもそも二人の馴れ初めは、レコード店のレコードの針が飛んで同じ箇所が流れ、通りすがりの客(グラント)が違和感から振り返ると店員の女(ダン)と目が合う、というものだったり、日本から帰国後のアパートのドアの建て付けが悪くてうまく開かず、無理矢理開くと反対の窓が閉まったり、だった。つまり、音楽の中断にはそれを埋め合わせる恋の芽生えが続き、ドアの故障にはその反射的対応が続く。物事がスムーズにいかない「欠損」が初めから存在し、それを乗り越えたり、糊塗したり、埋め合わせたりする、多かれ少なかれ無理のある補償装置がある。二人の根拠のない愛情を補償するのが子ども(養子)ということらしい。この映画が奇妙なのは、養子を初めとするこれらの補償装置が、初めの「欠損」を否認するかのごとく切実に求められている、ということにあるようです。

映画のなかで人々がやたらとつま足だってコソコそと歩くというのも気になるところです。

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