ここから本文です
【お知らせ】映画館の上映スケジュールについて、新型コロナウィルス感染症(COVID-19)の影響により、実際の上映時間と異なる可能性があります。ご不明な場合は、各劇場にお問い合わせくださいませ。

ミュリエル (1963)

MURIEL/MURIEL OU LE TEMPS D'UN RETOUR/MURIEL, IL TEMPO DI UN RITORNO/MURIEL, OR THE TIME OF RETURN

監督
アラン・レネ
  • みたいムービー 13
  • みたログ 34

3.54 / 評価:13件

「時代は変わる」

  • hin***** さん
  • 2011年12月10日 11時09分
  • 閲覧数 685
  • 役立ち度 0
    • 総合評価
    • ★★★★★

 『夜と霧』で戦争に対して中立性を表明したアラン・レネは本作でもその姿勢を崩していない。それはなによりも主人公の設定に見られる。主人公はいわば戦争の被害者だ。しかし法的には加害者である。その苦悩を、彼の周りの人々の態度との対比によって浮かび上がらせている。
 本作は何が起こるでもなく、ただ淡々と登場人物たちの日常を綴っている。登場人物たちも感情の起伏は乏しく、『去年マリエンバートで』に比べると遥かにリアリティがある。本作に通奏低音として流れているのは、戦争の後の虚しさだ。エレーヌは孤独を癒すためにカジノに通い、初恋の相手が彼女の元に来てからも孤独感は収まらず、カジノに通い続ける。彼女の初恋の相手であるアルフォンスも終盤ですべてがウソで固められた人物であることが明かされ、いわば虚構の存在である。ベルナールも戦争中の記憶を忘れられず、今を生きてはいない。なにより、本作のタイトルが彼がいかに過去に縛られ、苦悩しているかが痛いほど伝わってくる。これほどタイトルに上手さを感じることは稀であろう。いずれにせよ、彼らが抱える虚しさ、孤独感をアラン・レネは突き放すでも包み込むでもなく、ただ淡々と見つめている。そこには冷たさも温かさもない。ただ監督の視線があるだけである。それは監督がやはり今回も中立の立場にいるからだ。終盤で突然、本筋にはまったく関係のない駅員が登場して「時代は変わる」とかなり的を射た台詞を口にする。駅員は本筋にはまったく関係がないから、究極的な客観性を所有しているわけだが、その真意は劇中の過去に縛られている登場人物らに対してのメッセージにほかならない。「ミュリエル」に縛られているベルナールに対して言われる、突き放しとも包み込みとも取れるその台詞こそが監督の示す客観性をもっともよく表現している。今回もアラン・レネは中立の立場を保つことで、観客に問いかけているのである。

詳細評価

物語
配役
演出
映像
音楽

イメージワード

  • 不思議
  • 知的
  • 切ない
このレビューは役に立ちましたか?
利用規約に違反している投稿を見つけたら、次のボタンから報告できます。 違反報告
本文はここま>
でです このページの先頭へ