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暖流 (再編集版) (1939)

監督
吉村公三郎
  • みたいムービー 3
  • みたログ 15

3.88 / 評価:8件

暖流のような高峰三枝子の女性像

  • oldfilmer さん
  • 2009年8月15日 1時55分
  • 閲覧数 1173
  • 役立ち度 5
    • 総合評価
    • ★★★★★

 岸田國士の長編小説が原作になっている。1939年制作という古色蒼然たる映画であるため、映像の状態は必ずしも良いとは言えないが、ドラマの内容は今日見ても少しも違和感を感じるものではない。 
 志摩病院という大病院を経営する院長の志摩泰秀(藤野秀夫)は寄る年並みに勝てず、経営にも遺漏をきたすことになり、病院の統制にもほころびが見え始めていた。そこで、家族ぐるみの付き合いをしていた日疋家の長男、日疋祐三(佐分利信)を製薬会社から引き抜き、院長秘書格で主事として経営に当たらせることにした。
 院長には康彦(斎藤達夫)という息子がいて、副院長として勤めていたが、この息子は遊興に熱心で経営の才覚はまるでなかった。日疋祐三はこの院長の息子に財政の引き締めを言い渡すが、副院長をしている康彦の目には傲岸無礼な姿と映り憤るが、日疋祐三には院長の権力を背にしているため意に介さない。
また、祐三は病院の内情を探るため、看護婦の石渡ぎん(水戸光子)を自宅にまで呼び寄せ、巧みに懐柔する。そして、その石渡は祐三の行動力に惹かれ始める。祐三はそんな石渡の気持ちを察する気配が全くなく、幼馴染であった院長の娘である啓子(高峰三枝子)に関心を寄せ始める。しかし、啓子は既に病院の外科医である笹島(徳大寺伸)と結婚を前提にした付き合いをしていたのだった。ところが、その笹島には既に看護婦の堤ひで子(槇芙左子)と深い付き合いをしていた。つまり二人の男、日疋祐三と笹島はともに想いを寄せる女がいながら、院長の娘、啓子に思慕を寄せるという関係に落ち込んでいた訳である。
 啓子は日疋祐三を思慕する石渡ぎんとは小学校からの同級生であり、石渡の気持ちを察すると、日疋との関係を躊躇するようになる。また、笹島に深い仲の恋人がいるという噂を日疋から耳にすると、思い切って笹島本人を問い詰める。笹島は否定するが、心の動揺が手に取るように透いて見えた。啓子は笹島にきっぱりと別れることを告げる。

 結局、日疋は自分に一途な想いを伝える石渡を受け容れるのであるが、翌朝、湘南の海岸で啓子と落ち合い、その石渡との婚約を告げると、啓子は本当のところ、日疋に好意を寄せていたことを明らかにしたが、気丈に振る舞うその瞳には涙が光っていた。

 日疋祐三を演じた佐分利信はこの映画では、本当に若い。晩年の彼からはちょっと別人のように見えるほど、軽快ささえ湛えている。病院を立て直す敏腕ぶりを発揮し、気概ある人物像たりえている。しかも、女に溺れることのないニヒルな男の香りが匂う。また、高峰三枝子演ずる啓子は、院長の娘であるが権力を笠に着たところが微塵もなく、ひたすら可愛いくて、繊細な娘を演じているのには好感を持ってしまった。
 看護婦石渡ぎんを演じた水戸光子は日疋にひたすら想いを寄せる女を熱演している。どちらかと言うと、平凡な容貌であるが、それが却って女の切なさを際立たせているのがいい。外科医笹島を演じる徳大寺伸は戦後の東映時代劇で私などはお馴染みなのであるが、こういう現代劇を演じても内面の弱さを垣間見せる男の演技には魅せるものがる。

 1939年という物情騒然たる時代にこれほど感性豊かな映画が制作されていたことは、私には驚きであった。この映画で聞かれる音楽はショパン、チャイコフスキー、メンデルスゾーンなどのロマン派名曲であるが、テーマ音楽はバロック音楽調のポリフォニックな音楽であり、男女間の情愛のもつれみたいなものを巧みに表現できていると感じた。

詳細評価

物語
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演出
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音楽

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