プラットホーム

PLATFORM/站台

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プラットホーム
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作品情報上映スケジュールレビュー

作品レビュー(6件)


  • xi_********

    4.0

    激変する中国を見つめる賈樟柯

    中国へ映画が伝わった1896年以降、無声映画時代(30年代)を牽引した「第一世代」、トーキー時代(30~40年代)の「第二世代」、中華人民共和国建国前後(40~50年代)に登場した「第三世代」を経て、60~70年代の中国映画界は文化大革命により崩壊(プロパガンダ映画の強制量産)。この停滞後(70~80年代)に「第四世代」が現場復帰し、ほぼ同時期(80年代前半)に登場した「第五世代」は中国映画を世界へ連れ出すことに。そして90年代以降、市場経済(改革解放路線)の下に生まれた「第六世代」が登場します。 「第六世代」の特徴を端的に言うならば、個人主義、反ロマン主義の二点でしょう。彼らの登場以前、各地にある電影製作所(映画スタジオ)は国家予算で運営されていましたが、90年代には市場経済の導入と共に自主採算制へ移行。このこと(と六四事件による検閲強化)は「第五世代」に商業主義への迎合を促す一方、「第六世代」には過剰な作家主義への固執を生み、結果、独立映画と言う新たな潮流を生むことになります。 本作の監督である賈樟柯(ジャ・ジャンクー)は、この「第六世代」の代表格です。1970年に中国山西省に生まれ、地元の芸術学校で油絵を専攻。卒業後に小説の執筆を開始しますが、93年、映像作家への転向を目指して北京電影学院へ入学。在学中に『小山の帰郷』を自主製作後、97年の卒業製作映画『一瞬の夢』で長編映画デビュー。この『プラットホーム』が二作目となります。 最初に断っておくと、この賈樟柯を含め、婁燁(ロウ・イエ)、張元(チャン・ユアン)、王小帥(ワン・シャオシュアイ)等の「第六世代」の映画は、(選民思想的な物言いですけど)「映画好き」以外の人には、全く面白くない映画だと思います。 彼らの映画に限らず、欧州映画的作家至上主義を全面に押し出した映画ってのは、往々にしてつまらないものです。そう言った映画の大半は観客に映画との正対を強いるので、娯楽映画的な「面白さ」とは愉しみ方が全く異なります。解り易さが皆無である分、作家性それ自体を愉しめるかどうかが鍵となります。私の言う、「映画好き」なら愉しめると言うのは、つまりそう言うことなのです。 例えば、この『プラットホーム』で賈樟柯が描いているのは「中国の変化」でしょう。なのに、この「変化」の表現はとても不親切で解り難い。劇中の若者たちが夢中になるポップ・ミュージック、ファッション、劇団の出し物等でこの「変化」を表現していますが、そこに政治的、社会的な大事件は登場しません。彼は、劇団の出し物が「毛沢東を讃える芝居」から「ブレイクダンス」へと変遷していくことを映すだけであり、ラジオから流れる音楽を「テレサ・テン」から「ジンギスカン」へと変えるだけなのです。 更にややこしいのが、この映画がロード・ムービーであること。映画の主人公たちは、バスやトラックの荷台に乗り各地を旅します。ここで賈樟柯は様々な「中国の変化」を切り取ってみせますが、同時に、この旅路に主人公たちの「明日を模索する姿」も投影しています。この旅路に答えが準備されていればまだ解り易かったのですが、賈樟柯は、それすらも観客が主人公たちと同様に模索することを求めます。 恐らく、賈樟柯はこの長い物語の中で、中国における「時代の変化」が若者へもたらした「最も重要な変化」を描いていると私は思っています。そしてそれは、中国映画界が「第五世代」に与えていた状況とは一変している中で製作に臨む、彼ら「第六世代」としてのアイデンティティーを示しているのだと思います。 この映画について、賈樟柯は「歴史を描いたのではない。気配を描いたのだ」と語っています。本作は、まさに「変わりつつある中国の気配」を些細な場面に漂わせ、その気配の中を旅する若者の姿こそが、その「変わってしまった中国」を現している映画。 冒頭、山間を走る汽車を追う若者の姿が映されます。汽車は、新たな時代の到来を告げ、彼らは、それ(走り去る汽車=時代)を追いかける。 小さな田舎町から、さらに小さな村へ。 悩み、迷いながら、若者たちは答えを見つけていきます。 ある者は留まり、ある者は一歩を踏み出す。 模索する「自由」。 それこそが、激変する中国社会が若者へもたらした変化であり、今日の中国。 賈樟柯も『プラットホーム』も、私は、決して他人(ひと)には薦めません。その「模索の旅」を観客にも強いるような物語を愉しめる人は、圧倒的に少数派でしょう。 それでも、賈樟柯が今日も貫いている「今日の中国を省察する姿」。理解され難い作家主義は困りものですが、その姿勢自体は、決して嫌いではありません。

  • pin********

    4.0

    みなさんのレビューで勉強しました。

    ジャ・ジャンクーの作品は正直言って、僕には難解。 『長江哀歌』も難解だったけど、この作品もしっかり難解。 いや、描かれているものがわからないわけじゃないんだけど、起承転結がはっきりした物語じゃないから、どう見ていいか分からないんですよね。 ただし、僕の好きな不思議な雰囲気を持った映像作品ではあります。 古い中国…といっても、僕らがイメージしている30年くらい前の中国ってことだけど、が描かれているのも懐かしいです。 そう、まだ、中国に悪いイメージがなくって、親しみが持てた頃ですね。 文化大革命が終わって、改革開放政策が打ち出され、でも、まだまだ古臭いところがあって。 農村を周る劇団の演目が、革命劇から西洋風のエンターテイメントに変わり、劇団の運営も政府の直営から自己資本によるものに変わっていく。 そうした時代の変化が描かれているけれど、ではその変化の何を描こうとしているかというと、『長江哀歌』同様のノスタルジーにも思えるし。 でも、時代の流れにあがらうわけでもない若者の姿にはノスタルジーとも違うものを感じるし…。 ただ、先端を行っているつもりで、そんなに格好よくない、彼の地の若者は、案外と僕たちの若いころに似ていたりもして苦笑いでした。 ところで、 こういう映画見る人って、よっぽどの中国好きか、映画好きかでしょ。 まして、レビュー書く人は。 というわけで、レビュー数の少ない本作、そういう方々の感想をすべて読むことができて大変勉強になりました。

  • いやよセブン

    4.0

    改革開放の始まり

    政治体制の変化とはほとんど無縁な中国の地方の若者が、その思春期と青年期を改革開放とともに駆け抜ける。 短いエピソードを積み重ね、ヒット曲とともに大きなストーリーを描いていく。 現在の中国も西部ではあまり状況は変わっていないと思う。 みんな一生懸命生きている。

  • gdg********

    4.0

    絶大な演出力

    カメラはほぼ固定、カット割りも最小限(というか、ほとんどない)、引き画がほとんど、セリフも少ない、ストーリーもダイナミックではない、なのになのに!飽きないんですね~! ホント不思議です。勿論、照明、美術、画のサイズなど計算しつくされていると思うのですが、監督の演出力が凄いと思います。登場人物の体の微妙な動かし方、うつむき方、タバコの吸い方で、セリフがなくとも、気持ちが伝わってきます。 なぜでしょうか?そんなことを考えながら楽しめました。

  • ********

    5.0

    1980中国

    急激に変わっていく1980年中国。その渦中の若者たち。変貌振りを捉えるカメラはしかし、切り替えしもなければアップもないしズームもない。じーっと固まっているか、対象に沿って静かに動くだけ。戸外の明るさの微妙な違いもいいし、地形もいいし、必ず入っている雑音もいい。とにかくすべてがすばらしい映画。2時間40分まったく飽きない。 タイトルは故郷だったり伝統だったり、戻る場所という意味でしょう。旅回りの集団は何度も故郷に帰ってくる。しかし同時に出発する場所でもあって、最初の出発のトラックが町を出て行くシーン(出発シーンはこれだけ)は感動します。音楽と映像と歌声とカメラがぴったりあってて明るい。心情的には不安だらけな場面なのに。何度かある帰郷のシーンが一様に無音なのと大違いです。 見終わったあと「ジンギスカン!」と歌いだしたくなる映画です。

  • はるや 小檜山想

    5.0

    なにがイイってきりがないのですよ

    ついいましがた見終わった映画について話が尽きなくなる状態。 オンナ2人でタバコ吸うところ、逢い引きで男女が壁の陰に入れ替わり立ち替わり隠れるところ、走る汽車追ってみんなでダッシュするとこってシーンを挙げてもいいし、要所要所の橙色に目を奪われただの、音楽がサイコー、カメラの位置がどれもぴったりとか全体を貫く監督の手法のことでもいいんですが、これほど話の種になるところがもうダントツです。

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