4.0点
マスカルポーネというのはフレッシュチーズの一つでいろんな料理に使われるものらしい。 ただ、単独で食べられることのないチーズのようである。 「ナポレオンの料理人は、フランスにマスカルポーネがなかったので自殺した」とセラピストにつぶやくシーンがある。ルイ14世の料理人かもしれないとも。 先にリメイクのキャサリン・ゼタ=ジョーンズの『幸せのレシピ』を先に観てしまったのだが、こちらの方がいい。まあ、リメイクの方がいいということは滅多にないのだけど。 キャサリン・ゼタ=ジョーンズの場合は、観る前から美人シェフということが分かっていて観るのだが、ドイツ映画ともなると美人とも料理とも結びつかないので意外性が高かった。 細部は異なるが、場所が場所だけに仕方がないことなのだ。 そうそう、食と性は二大欲だけあって、アナロジーが働く。 だから、暗闇で食材当てをする場面はとってもエロチックである。 実際には、味覚が総合的なもので、目を閉じて味が分かるのは素人にできる仕事ではない。 映画というのは親和力の作品である。 料理というのも親和力の作品である。 何をどう組み合わせるかによって、まるで違うものができてしまう。 レシピがあっても、作る人によってまるで違ってくる。 マスカルポーネも親和力のある食品だ。 そして、親和力というとゲーテなのである。 ゲーテの『親和力』には誰の子どもとも分からない子どもが出て来るのだが、リナもある意味、誰の子どもかよく分からないことになる。 そして、この映画はゲーテの『イタリア紀行』なのだ。 ドイツ人はイタリアに憧れる。 ここでは「明るく太陽の出ているイタリアにいて、暗く凍てつく寒さのドイツを恋しがらないわけがないさ」などとドイツが皮肉られる。 ブレンナー峠を越えて情熱の国へ入るのがゲーテ以来の憧憬だったのだ。 でも、ドイツ人とイタリア人って、うまく行くのかなぁ。 戦争だって無理だったし(勝てばよかったとは思わないが)。 キャサリン・ゼタ=ジョーンズでは、イタリアに逃げようがないものだから、マンハッタンからサンフランシスコに移ることになっている。ニューヨークの人にはカリフォルニアは南国なのだ。 親を事故で失った子どもに世界はどんな風に見えるのだろう。 吉本ばななの『哀しい予感』にもそんな世界が描かれていたが、自分と世界を親和させるのが難しいものだろうと思う。 そんな子どものための愛のレシピを求めてヒロインは惑うのである。 マスカルポーネが見当たらなければ自殺してしまわなければならないのだ。 マスカルポーネが何であったか、観た人には一目瞭然である。 食と愛を考えさせる傑作だった。 ※とはいえ、食の映画は『バベットの晩餐会』『ショコラ』などいっぱいあるので☆☆☆☆☆とはならなかった。