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フレイルティー/妄執

qua********

5.0

ネタバレ不確かさが生み出す恐怖

注)ラストまでネタバレあり “神の手”(ゴッド・ハンド)と呼ばれる連続殺人鬼を追う捜査官ドイルのもとへある嵐の夜、フェントンと名乗る男が訪ねてくる。 男は、連続殺人の犯人は弟アダムで、数々の殺人を犯した後に自殺を遂げたと告げる。 そして、弟には正当な理由があったと付け加え、彼ら兄弟の少年時代まで遡るその恐ろしい物語を語り始めるのだった―。 さっそく本作のネタを明かすが、実は連続殺人鬼“神の手”とは文字通り、自分は神の代わりに悪魔の抹殺を任された者だと信じて疑わない兄弟の父親のことだった。 彼は神の名の下、人間と同じ姿をした悪魔を殺し続け、自分の息子たちをも巻き込んでいくのだった。 ここで物語は一気にオカルト色全開になるが、果たして父親の主張は事実なのか、それとも妄想なのかに焦点が置かれる。 そして何といっても本作の構図が絶妙。 神の名の下に殺人を繰り返す父親、そして父親の名の下に息子たちに自分の行為を継がせようとする父親、という構図だ。 子にとって父親は神と同義というわけである。 ここに「フレイルティー」(弱さ、誘惑に陥りやすいこと)というタイトルを本作に付けた狙いががあるのだろう。 さらには副題の「妄執」(迷いによる執着)にもつながるという巧妙さ。 だが、父親の妄想にしろ事実にしろ、それは確認することも証明することも不可能であり、この不確かなものに支配されてしまう、支配されてでしか生きていけないことこそが本作の表現したかった恐怖なのだろう。 神にしても父親にしても、何かしらの指針がなければ生きていけないのはどこの文化でも確かなこと。 問題はその肝心な信仰の対象があまりにも不確かで根拠のないものであることだ。 そして、せめてより多くの人々の間で信仰を共有することで根拠を得ようとしたのが宗教であり、その強い依存性は子供の人格形成を大きく左右するであろう、親の存在と似ている。 神も血縁関係も人々の心の拠り所になると同時に、反対にその強い依存ゆえの危険性を生み出すこともあるということだ。 ここに宗教と親子関係を対比で表現した意図がある。 ある種の皮肉、批判にもとれる巧妙なストーリーだ。 この不確かさというテーマを軸にサスペンスとホラーを見事に融合させた本作、ラストで見せる怒涛のどんでん返しの連続でも不確かさの持つと不気味さをサスペンスとホラー、それぞれに当てはめ、両者の見事な融合を果たしている。 サスペンス面での見事な叙述トリックを皮切りに、さらに何重ものどんでん返しで追い打ちをかけ、ラストのラストではホラー面のどんでん返しで観る者を凍りつかせる。 本作は低予算ながら、練りに練られた脚本が素晴らしく、何重もの捉え方ができる非常に深いテーマ性を持ったホラーであると同時に、ミステリーの見本のような作品でもある。 映画における叙述トリックの代表作と言えるほどで、もはや古典の風格さえ漂わせる。 そして最後に一つ、彼らの言う「神」というのは本当に彼らが信仰する神のことなのか。 仮に彼らに殺人を指示した何者かが神ではなく、他の何かであったならば―。 たとえば悪魔…なんて考え方もできる。 いずれにしてもキリスト教信者にとって信仰の不確かさ、信仰の根底が崩れることほど恐ろしいことはないのだろう。 それは信仰の共有という宗教の存在意義の根拠を失うことなのだから。

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