ここから本文です

破獄 (1985)

  • みたいムービー 11
  • みたログ 38

4.21 / 評価:19件

狂気の人生

  • cyborg_she_loves_me さん
  • 2018年9月24日 13時30分
  • 閲覧数 150
  • 役立ち度 0
    • 総合評価
    • ★★★★★

 この作品の緒形拳さんの演技の鬼気迫るすごさは、これはもう誰もが認めるところでしょう。
 そして、この、執念、怨念、いや狂気すら感じさせる凄まじい迫真の演技が、この作品の性格に見事にマッチしているということは、つまり、この主人公の佐久間清太郎という男の生きざまは、やっぱり異常だと言うしかないということをはっきりと証明していると思います。

 冷静な頭で考えたら、これだけ脱獄を繰り返すということは、単に自分の刑期をそれだけ長引かせる点でかえって不利益になるというだけじゃない。
 逃亡中は、何の罪もない人たちの金品や食べ物を盗み、そういう自分を捕まえようとした人々を殺傷し、という加害行為を続けなければ生きていくことができないのは、最初からわかっていることです。
 そしてとどのつまりは、血を分けた娘にまで、こんな父親を持ちながら生きるなんてもう耐えられない、今後一生私の前に現われないでくれ、と絶縁を言い渡される。

 強盗殺人の罪に問われたことにどんな言い分があるにせよ、刑務所内での拘禁や懲罰のあり方にどんな不服があるにせよ、脱獄してそれだけたくさんの何の関係もない人たちに危害と迷惑を加えながら生き続けることを正当化する理由にはなりません。
 ということが理解できず、脱獄を繰り返すのは、これはもう冷静な思考の結果として決断した選択じゃないですね。完全に理性は失って単なる執念、怨念だけで行動しているとしか考えられない。

 最後に佐久間が模範囚へと一変したのは、理性を取り戻したからでも、あるいは鈴江(津川雅彦さん)の一貫した信頼と愛情についに動かされたからでもないと私は思います。
 執念を持ち続けるのは異常なエネルギーを必要とすることです。脱獄しても極寒の地で全身凍傷になって死ぬ寸前にまでなっただけという経験を経て、それ以上執念を貫く気力が折れたのだと思います。
 娘からの絶縁宣告も、追い打ちをかけたでしょうね。おれがここまでエネルギーを使い尽くしてやってきたことの結果が、これか、と。

 その後、模範囚として生きたのは、要するに「ぬけがら」になり果てたということじゃないでしょうか。
 この作品が描いている佐久間の余生は、鈴江の信頼に応えて人間的な生き方を取り戻した人物の姿などではまったくない。ただぼーっとして言いなりに動いてるだけの、ぬけがらの姿です。

 緒形拳さん、この廃人の姿の演技が、これまたすばらしいですね。
 なお、以上は、この映像作品が描いている佐久間清太郎という人物に関する感想であって、彼のモデルになった実在の白鳥由栄という人がどんなだったかは、もちろん私は何も知りません。念のため。

詳細評価

物語
配役
演出
映像
音楽

イメージワード

  • 未登録
このレビューは役に立ちましたか?
利用規約に違反している投稿を見つけたら、次のボタンから報告できます。 違反報告
本文はここま>
でです このページの先頭へ