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座頭市 (2003)

監督
北野武
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3.93 / 評価:794件

解説

 その日、訳ありの三組が同じ宿場町にやってきた。一人は金髪で朱塗りの杖を持ち、盲目の居合いの達人・座頭市。もう一組は浪人の服部源之助とその妻おしの。殿様の師範代という身分を捨てた服部は、病気を患う妻のために用心棒の職を探していた。さらにもう一組、旅芸者のおきぬとおせいの姉妹。彼女たちの三味線には人を殺めるための仕掛けが施されていた。それぞれに影を秘めた三者の皮肉な運命の糸は、町を仕切るヤクザの親分・銀蔵と大店の主人・扇屋を介してついに交錯、やがて因縁や怨恨の入り交じる壮絶な闘いが幕を開ける。

allcinema ONLINE (外部リンク)

映画レポート

(C)2003「座頭市」製作委員会
(C)2003「座頭市」製作委員会

「座頭市」─この映画には大いなるビジョンが貼りついている

座頭市は本当に目が見えないのか? という疑問がこの映画を貫いている。チラシやポスターには「最強」の文字が躍る。強い、強すぎる座頭市。本当は目が見えるんじゃないか? そんな感じだ。

例えば、雷鳴と豪雨の中の戦い。音と匂いを頼りに相手の動きを知る盲目の剣士にとって、もはや世界の気配を知るすべもない最悪の状況を、座頭市はものともしない。見る側のドキドキハラハラをあざ笑うかのように、座頭市の刀は切れまくるのだ。相手には抵抗の余地さえなく、アクションは一瞬で終わる。強すぎる……。やはり座頭市には何かが見えているはずだ。しかし一体何が?

それは世界のすべてである。そんな大いなるビジョンが、この映画には貼りついている。轟く雷鳴はどこか遠い地での戦闘の爆撃音のようにも聞こえるし、座頭市の殺戮の跡は、パレスチナやサラエボやアフガンなどのようにも見える。「ここ」と「よそ」とが、座頭市の知覚によって、1つの場所に結びつけられるのだ。つまり、そこに世界が丸ごとある。そして殺人マシーンとしての座頭市は、我々人類の絶望と憂いを背負うことになる。個人としてではなく、人類の負の極点としての座頭市。その黒々とした暗闇を通して、我々は世界の歴史と空間の広がりを見ることになるのだ。(樋口泰人)

9月6日より、丸の内プラゼールほか全国松竹・東急系にてロードショー

[eiga.com/9月3日]

映画.com(外部リンク)

2003年9月3日 更新

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