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ローマの休日

ローマの休日

ROMAN HOLIDAY

118

ser********

5.0

永遠に封じ込まれた皇族の《心》の自由

 今更おすすめ、なんてレビューを書いたところで始まらない名作映画は世に何十本何百本もあるわけで、同様に今更私がこの映画のレビューを書く意味なんざ正直ないといっても等しい。それほどこの映画は作られて50数年経った今でも人々の心に語られる名作として、多分これからも語られるに違いない。  なら何故私がこの映画に対するレビューを書こうと思ったかといえば、とにもかくにもわが国の天皇陛下が公務の忙しさに体調を崩された、という報道を聞いたからに他ならない。既に75歳、政府の悪名高き《後期高齢者》の年頃になられた天皇陛下が、いくら仕事とはいえこんなにたくさんの公務をこなされていたと聞くに及び、正直、老人をこんなにまで働かせるこの国の公務って何よ、とちと憤慨した中、偶然にも映画の中に同じく苦労されるお方がいた。それがこの映画のアン王女だったというわけです(笑)。  わが国の陛下とオードリーを比べるとは不敬であるのは重々承知、でもこれを書かずに「ローマの休日」は語れないのでは、と思い久しぶりに書くレビュー。ロマンチックな映画の裏にある悲しい現実。それを知らずとして何が名作かよ、と(笑)。  オードリー演じるアン王女の国は某国、とされている。ま、多分王制があるヨーロッパの国、と想像は出来るのだが同時にこの国はちと怖い。失踪した王女の捜索のために秘密警察が堂々とローマにやってくるのだから。当然そこには《自由》という概念が随分と規制された国家を思わせる重さがある。そんな国の王女として各国を親善する若き乙女。そりゃ息抜きぐらいさせてくれ、というのが当然であります。  そんな彼女がローマで束の間の《自由》を味わう。だがその束の間は単なる気まぐれを越えて彼女の人生に大きい希望、そして《影》を残す。多分一生に一度の恋であり、一生に一度の冒険であり、そして一生に一度これほど自由の素晴らしさと残酷さを感じた事がなかったであろう瞬間。映画は彼女の忘れられないローマでの一日を《光》としてスクリーンに残しながら、ふと斜に構えてみればこれから一生、《国家》という錘に縛られた人生を歩まねばならない決意の瞬間をあのラストに凝縮していると言ってもいい。    彼女は全てを捨てて自由を選ぶ事が出来た。あの青年と一生ともに出来たかもしれない、自由に髪を切り、自由にジェラートを食べ、自由にキスをする。そんな個の自由を選択出来たにもかからわず、同時にそれが幻想に過ぎない事を痛いほど知っている。何故ならそれは王女だから。人々の上に立つ《象徴》であるから。その重さを知れば知るほど私達は彼女の見せたあの愛くるしい笑顔を犠牲にする国家の重さというものをラストに見出せるのである。  多分彼女は最後、渡されたあの一日の思い出の写真群を胸に《選べたかもしれない》もう一つの人生を一生心のキャビネットにしまい、永遠に王女としての儀礼的な人生に埋没していくのだ。そう思うと実に切なく悲しい。それが分かっているからこそ、ラストシーン、記者達が去った会見場で一人、その余韻を共感するたった一日だけの恋人・グレゴリー・ペックの姿に私はえらく感情移入してしまうのだ。「卒業」の様に王女を連れ去るわけにもいかない、それが《現実》の重さ。その重さをふと、私は今のわが国の皇族たちにも感じてしまう。  好きで皇族になったわけではない。だが皇族として生きねばならぬ。  それが宿命なのだから。  戦後、天皇は象徴として我々の前に存在する。  自由国家、民主主義国家となったはずのわが国で唯一、自由にものを言えないのが彼ら皇族だ。彼らが口を開く事で未だに混乱が起きる、とイデオロギー原理主義者は怖れているせいか、彼らは未だに遠い国の住人である。そんな彼らを象徴、という枠にはめながらこの国の下々の住人は勝手気ままに自由を叫び、暴走する。本当は陛下は何か言いたいのかもしれない。でも出来ない。そんなストレスに生きる過酷さは我々の非ではない。  だからこそあえて言いたい。  陛下、お体を休めて下さい。そして「ローマの休日」を見てください。  自由さえ与えられない陛下の気持ち、多分アン王女なら分かってくれますから。      

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