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ワーニャ伯父さん (1971)

ДЯДЯ ВАНЯ/DYADYA WANYA

監督
アンドレイ・ミハルコフ=コンチャロフスキー
  • みたいムービー 1
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4.25 / 評価:4件

一つの解釈

  • san***** さん
  • 2007年3月10日 13時22分
  • 閲覧数 821
  • 役立ち度 6
    • 総合評価
    • ★★★★★

この映画の登場人物たちは皆、廃墟に住む亡霊のようだ。おそらく、日本語に訳された戯曲「ワーニャ伯父さん」を読んだ多くの人は、この「ワーニャ伯父さん」を見ても深い感銘を受けることはないだろう。ワーニャの苦悩はただ意味なく鬱々としており、観客の共感を拒絶するかのようだ。故に、終盤、セレブリアコフに銃口を向けたときの、あの痛々しい解放感はみじんもない。他の登場人物も同様。各々の苦悩も焦燥感も、かなうことのない切なき希望も、多くのセリフと共に見事に切り捨てられている。テレーギンやマリーナに至ってはほとんど「背景」のような扱いといっても過言ではない。特にテレーギンの気の毒な結婚の顛末は、この弱々しい男を、他の男達に拮抗し得るキャラクターとして成立させる重要なファクターであるにもかかわらず、映画の中では「消去」されている。この映画、原作を好きな人が、その感動を映像で…という意図は見事に裏切られるであろう。ただ1970年代のソ連におけるチェーホフ解釈の「映像資料」としてとらえれば非常に興味深い作品である。息苦しくなるほどのカメラワークと、独り言のようなセリフの言い回し。まるで生活感のないワーニャ達の屋敷。「器量が悪い」はずなのに十分に魅力的な容貌のソーニャ。あなた自身のチェーホフ感や「ワーニャ伯父さん」のイメージを相対化するための「材料」としてなら、一見の価値ある作品と言えるかも知れない。

詳細評価

物語
配役
演出
映像
音楽

イメージワード

  • 切ない
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