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ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ (1984)

ONCE UPON A TIME IN AMERICA

監督
セルジオ・レオーネ
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4.18 / 評価:747件

【ラスト解釈】金ではなくねえ?

ラストシーンのヌードルスの微笑みだけど、
ネットでは、(現在のトップレビュー含め)
『金は全部俺のもんだ!』っていう微笑みっていう解釈が
一定数散見されるんだけど、なーんか腑に落ちなくて。

ほら、車での暴行シーンがあるんだけど、
あれって、筆者にもキツくて苦手ではあるんだけど、
『極悪だから』犯したわけじゃないのよ。
精神が『幼稚』だから『どうしても手に入れたい!』っていう行為で、
好きすぎて仕方ないけど『アニマル』だし、
ずっとムショにいたから『大人になれなくて』やってしまったんだよ。

『ガキだからコントロールできない』わけ。好きで好きで仕方ないわけ。
手に入らないならぶっ壊してでも手に入れたい。
それが最悪の形で表現されてしまったってわけ。

終盤、マックスと対峙して、子供時代を回想する。
『子供が子供でいれない環境』なのに、
振り返るとあんなにキラキラしてる、っていうのが、
この映画の残酷で美しいところなんだ。

だから、ラストの微笑みは、
個人的には『奴らが死んだ!金は全部俺のもんだ!』じゃないと思う。
ハードボイルド系にはこういうラストも結構あると思う。
悲しいくらいスカスカな男。

それはそれで虚しさがあって味わい深いんだけど、
ヌードルスは純情ではあるの。そして、仲間思いなの。
仲間とデボラが全てなの。

終盤、裏切り者のマックスを殺さなかったのは、『真実』よりも、『幻想』を選んだからなの。
だから、『アヘン』なの。『幻覚』なの。
『幻想』の中のマックスは、あの日丸焦げになって死んだの。
ヌードルスはそうしないと自分の人生を受け止められないの。

ラストのアヘン幻覚の中で、おそらくヌードルスは、
マックスのところで思い浮かべた
『キラキラした子供時代』に戻ったんだと思う。
(ここは、終盤の流れになっているので、『わかりやすい』ヒントになっているのではないかと思う。)

だからあれは、『欲望』の笑みではなくて、『幻想』の中の笑みだった。

彼は幼稚でスカスカなんだけど、金で仲間が死んでも平気なタイプではない。

『子供でいることすら許されなかった』のに、
ムショに入ってたから、『精神が育たないまま』大人になった空っぽな人間で、
終盤、ベイリー長官が実はマックスであることで、
それは彼の大事にしてきた『幻想』が否定されることになる。
彼はそれを拒んだのだ。
(ここでも『報酬』(金)を蹴って、『幻想』を選んでいる。)
儚く、虚しいギャングのストーリーなのだ。

詳細評価

物語
配役
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音楽

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