とてつもない才能、ツァイ・ミンリャン
- 一人旅 さん
- 2016年10月5日 23時55分
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第51回ヴェネチア国際映画祭金獅子賞。
ツァイ・ミンリャン監督作。
現代の台北を舞台に、高級マンションの空き室に度々足を運ぶ三人の男女の日常を描いたドラマ。
ツァイ・ミンリャンは紛れもない天才だと思う。「都会に生きる現代人の孤独」というテーマ自体はありきたりだし、何より台湾映画には孤独を扱った作品が多い。例えば、エドワード・ヤンの『恐怖分子』や『カップルズ』もそうだし、ツァイ・ミンリャン自身も第三作の『河』で現代人の孤独を再び描き、ベルリン映画祭で審査員特別賞を受賞している。
台湾ニューシネマは『冬冬の夏休み』『童年往事 時の流れ』『風櫃の少年』といったホウ・シャオシェンが撮るノスタルジックな青春映画が魅力的だが、エドワード・ヤンやツァイ・ミンリャンが撮る、都会に生きる現代人の孤独をシビアな視点で描いた作品群も傑作揃いだ。
本作の主な登場人物はロッカー式の納骨棚の営業マン・シャオカンと、不動産販売業の女・メイ、違法露天商の男・アーロン。物語は、高級マンションの空き室の鍵を入手したシャオカンが仕事の合間にそこを訪れるようになり、無関係だった三人の男女の人生が接近、交錯していく様を描く。
本作最大の特徴は、セリフの徹底的な排除にある。必要最小限にしか喋らせない演出スタイルは、捲し立てるような猛烈なセリフ回しで都会の孤独を浮き彫りにさせた同年製作の『エドワード・ヤンの恋愛時代』とは、同じ台湾映画でも対極に位置する。もちろん、「私は孤独なのよ」なんて野暮なセリフなどあるはずもなく、役者の表情や仕草・行動だけで都会に生きる現代人の言い表しようのない孤独や心の虚しさ、やり切れなさを表現する。
セリフの排除だけでなく、映像や音楽までもが三人の男女の孤独を強調する。映像は固定カメラ中心で、人物の動きに合わせてカメラが動くシーンはほとんどない。大半のシーンが、固定カメラによる引きの映像で、人物が画面から外れようがカメラがそれを追うことはない。徹底的に突き放した視点で語られる現代都会人の生態。
音楽も存在しないに等しく、BGMは始まりから終わりまで一切ない。聞こえてくるのは大都会・台北の喧騒。そして喧騒から一転、静寂な高級マンションの一室へと場面が切り替わる。静と動の凄烈なコントラスト。役者にすべてを語らせてしまうのは簡単だが、それに頼らず、音と映像、そしてセリフ以外の繊細な演出によって都会の孤独を浮き彫りにしてみせる。
ロッカー式の納骨棚が所狭しと並ぶ“都会式墓場”の風景。みんなで集まって楽しくゲームする同僚たちのそばで一人寂しそうに佇むシャオカン。愛のない情事を交わすメイとアーロンの喘ぎ声をベッドの下で盗み聞きするシャオカン...その後の彼の行動が切ない。
そして、驚異的な長回しの映像で映し出されるメイの嗚咽。かと思ったら、突然泣くのを止めて冷静さを取り戻しタバコを吸い始める。と思ったら再び静かに泣き始める...という不自然さ、理解し難さ。この終盤のワンシーンはとても印象的で、だが、その根拠となるメイの心情の変化は明確には示されない。表面上は明らかに何かが起きているのに、その背景を意図的にぼかして鑑賞者からは分からなくしてしまう。現代人が抱える、自分でも理解し切れない漠然とした孤独、不安、虚しさ。そして、人間相互の希薄なコミュニケーションによる心情の読み取りにくさ、伝わりづらさ。内向きな生き方をする現代人の自己完結的で不安定な心の状態を象徴するワンシーンだ。
心の通い合わない一方通行の人間関係を象徴するシーンは他にも数多く散りばめられている。シャオカン、メイ、アーロンは三人とも高級マンションの同じ一室を度々訪ねているのに、なぜか三人はなかなか鉢合わせしない。隠れたり逃げたりして、鉢合わせしないようお互いに細心の注意を払って行動する。傷つくことを恐れ、他者との衝突を回避しがちな現代人の生態を、セリフ(会話劇)に頼らないかたちで表現してみせたシーンだ。
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- 不思議
- 切ない
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