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ウンベルトD

ウンベルトD

UMBERTO D

87

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4.0

ネタバレウンベルトD

ウンベルトD。 ヴィットリオ・デ・シーカ監督のネオリアリズモ作品です。 デ・シーカ監督の代表作といえば『自転車泥棒』ですが、テーマはあれと似ています。モチーフだけが違う。今回は年金があまりもらえない老人と、小さな犬の話です。 ネオリアリズモは社会の歪みや市民の抵抗を描く運動です。当時イタリアはファシストとナチスの支配からようやく解放され、新たな混乱期を迎えていました。その中で一市民が被った苦しさや戦いの傷跡を描くのが、ネオリアリズモだと思います。 この時のイタリアの苦労は想像を絶するものがあったのだと思います。それがデ・シーカの影像からほとばしり出ている。不平等や理不尽なこと、その中で市民が打ちひしがれてしまうことは幾度となくあったでしょう。『ウンベルトD』はそんな市民を切り取った作品です。 見ていくと、不幸と苦悩の連続で息の休まる暇もありません。主人公のウンベルトは愛犬のフランクと共に労働者運動で追い散らされ、家族はおらず、家賃滞納で下宿の女将からは追い出されかけ、大切な物を売ってなんとか家賃を捻出しようとしますが、この時の惨めなこと…。 心優しい下宿屋のメイド、マリアは妊娠しているが、二人の男のどちらが父親か分からないと言っています。これもまた追い打ちをかけるようにつらい出来事。マリアもウンベルトもお互い何をすればいいのかわからず途方に暮れるようなシーンが多い。 ウンベルトは熱を出して病院へ行くが、帰ってきた後部屋がめちゃくちゃに壊され、預けていた愛犬フランクもどこかへやられてしまい、慌ててフランクを探しに行って見つけるが、どうしようもない現実に心から打ちのめされ、「もう疲れた……」といって放心してしまう。その時の心を打つ惨めさ……。金のない人間に対する、人々のなんと冷たいことか。 こじきをする勇気もなく、施設に入る勇気もなく、行く当てもなくバスに乗るウンベルト。愛犬フランクを預かってくれるところを探すが、このあたりから自殺を考えだしていることが視聴者にも分かってくる。ペット預かり屋の夫婦はがめつく不衛生で、引き取りに来なかった犬は保健所に渡すと容赦なく言い放つ冷酷さ。そこにいる犬たちの荒んだ表情を見て、ウンベルトは預けるのを思い直し、またフランクと共にあてのない旅へ出る。 ある平和な公園の中で、幸せそうな子供たちとそれを見守る母親を見ながら、ウンベルトはフランクをもらってくれる人を探すが、断られる。フランクが子供たちとじゃれあっている隙に、ウンベルトは身を隠して自殺しようとするが、フランクに見つけられる。 その時の切なさと悲しさ…。 フランクの健気さとウンベルトの絶望は調和して、どうしようもない切なさと惨めさを表現する。 ウンベルトは決意してフランクと心中を図ろうとするが、電車がやってくる間際、フランクは危険を察知して逃げ出してしまう。ウンベルトはそれを追いかけ、ぎりぎりで助かった。 怖がって隠れてしまったフランクを探してウンベルトは公園にもどり、フランクを見つけると、無邪気に松ぼっくりを投げてフランクと共に遊ぶのであった。 彼らが今後どうなるか、それはわからない……。 というお話でして、とても胸に来る内容となっております。 全編見通しても、明るいシーンは皆無で、全て重々しく苦しいシーンになっています。それもそうで、それがデ・シーカのネオリアリズモだからだと思います。 不幸オブ・ザ・不幸。 デ・シーカのネオリアリズモは徹底しています。 しかし社会の理不尽さを糾弾するだけでなく、その中で苦闘する人々の姿を描いている。それが彼にとって美しいと思ったことなんでしょうね。 私が★一つ減らしたのは、デ・シーカはいささか徹底しすぎたように思えるからです。これだけ不幸だと、逆にリアリティを失ってしまうと思います。 また主人公ウンベルトに対する魅力の点でも、あまり気持ちよくはありません。ウンベルトはひ弱な老人で、どことなく態度が曖昧なままであり、単純に世情に翻弄されるがままの弱者という描かれ方をしています。 実際、ウンベルトの姿をじっと見ていて楽しいかと言われれば、そうではありません。 ラストの悲壮感は確かにすごいですが、それまでのウンベルトの姿を見続けるのは、やや苦痛な気がします。 デ・シーカは自身のネオリアリズモを徹底的に描くことにとらわれ過ぎていたのではないかと思います。フェリーニはもっとサッパリとした表現をします。付言すれば、この『ウンベルトD』の挿入音楽も、こちらの悲しみを過剰に引き立てるようなもので、いささか気持ち悪いです。 これが感想です。デ・シーカはやっぱり何となくあまり好きになれないところがあります。

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