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ラヴ・パレイド (1929)

THE LOVE PARADE

監督
エルンスト・ルビッチ
  • みたいムービー 3
  • みたログ 17

4.00 / 評価:7件

空間の誘惑と模倣の磁力

今よりも厳しかったであろう男尊女卑を皮肉った物語が持つメッセージの社会的意義の重要性などという、ある種のインテリ的なこの作品に対する評価は正直どうでもいい。そこにあるのはせいぜい知的好奇心を納得させるに至る共感といった類の物でしかない。この作品で真に感動的なのは、映画的感性を至福の興奮へと導く、一貫した空間の誘惑と模倣の磁力にある。

空間の誘惑とは、つまり、登場人物たちの身振りは、常に空間に忠実であり、例えば、寝室は王女を女にさせる空間であるし、王女が絶対的権力を持つ空間だって存在する。ルビッチ的な扉やカーテンが持つ出入りの喜劇的な面白さは言うまでもなく、それらは空間を仕切る一つの道具として機能している。もちろんそれは、空間に対して忠実な身振りを誘惑する物として存在する。その一貫性に映画的感性を刺激させられる。

模倣の磁力とは、召使たちの恋模様から飼い犬のそれに至るまで、物語の主人公である二人を模倣する。しかし、ある瞬間から、召使たちがその模倣の磁力を引き出すべく色恋沙汰を先導していく。もちろんその磁力に忠実な一貫性を持つ物語の機能は主人公の二人を引きずり込まずにはいられず、またしても映画的感性を刺激せずにはいられない感動的な身振りが演じられる。

この一貫した空間と模倣の演出に、いくつもの完璧な細部が存在し、それらも一貫したあまりにも素晴らしい誘惑や磁力を引き出す。フランスでの淫らであろう細部を語る召使との会話は戸外に据えられたカメラによってその会話の淫らであったろう部分だけ遮断する。もちろんこれらも模倣されるように反復し、戸外に据えられたカメラは二人の淫らな時間を保証するだろう。それによって、ラストショットの重要性は明らかになる。

そして何よりも感動的な細部として、もちろん一貫性を持って存在しているのが、2~3人掛けのソファーであり、その存在は、空間の中で特権的な位置を獲得している。思い起こせば、男が王女をデートともいえる食事に誘えたのも、王女を落とせたのもソファーだった。この特権的な空間は、一つの空間が持つ力関係の優劣も逆転させてしまえる磁力を持つ。

だから、ラストシーンの呆気ないまでの、ハッピーエンドが感動的なのだ。それを可能にできるだけの、模倣の磁力と空間の誘惑との中に、あの特権的なソファーが存在する。もちろんここでは、王女が女となって、ハッピーエンドに必要な夫の権力を回復させる為の身振りが演じられているが、と同時にこの特権的な場所で演じられているのは女が男を口説き落とす身振りだ。男が有利なラストのこの部屋の空間で特権的なソファーに模倣の磁力によって引きこまれる。この、完璧な一貫性を持った演出に映画的感性が震えないわけがない。つまり、序盤の王女が有利な空間での特権的な場所のソファーで男が口説く身振りを今度は立場を逆にしてそっくりそのまま反復してしまう。だからこの呆気なさが最高に感動的なのだ。

これらの、完璧なまでの一貫性はルビッチの演出力に感動するしかないのと同時に、映画に深く感動してしまうのだ。大げさでも何でもなく、本当に完璧な映画。

ちなみに、書ききれない、例えばミュージカルにしても、扉から扉への中間地点の喜劇性にしても、その他もろもろ洒落ていて完璧に面白い。

詳細評価

物語
配役
演出
映像
音楽

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