オリヴェイラ監督が語りかけるもの
- りゃんひさ さん
- 2010年11月13日 11時46分
- 閲覧数 1228
- 役立ち度 7
- 総合評価
タイトル『永遠の語らい』は「とわのかたらい」と読みます。
なんだか恋人同士が歳降っても語り続けるみたいな、儚(はかな)げなタイトルです。
ポルトガル語の原題は「UM FILME FALADO」。英語タイトルは「A TALKING PICTURE」。
直訳すると「語る映画」。
ポルトガルの巨匠マノエル・ド・オリヴェイラが撮ったこの映画は、全編、会話で成り立っています。
その会話は、映画と通して、オリヴェイラ監督が語っているというわけです。
ポルトガルの大学で歴史を教えている女性教授が、幼い娘をつれて、豪華客船でインドにいるパイロットの夫に逢いに行きます。
航海の途中、寄港先の町々の歴史を、女性教授が娘に教えます。
ポルトガル・リスボン、フランス・マルセイユ、イタリア・ナポリ、ギリシア・アテネ、トルコ・イスタンブール、エジプト、スエズ運河、アデンと巡る旅は、地中海文明歴史紀行です。
ここまでが前半。
後半は、船中での語らい。
アメリカ人船長ジョン・マルコヴィッチ、フランスの女性実業家カトリーヌ・ドヌーヴ、ギリシアの女優イレーネ・パパス、イタリアの(これも女優だったか)ステファニア・サンドレッリ、その四人が自国の言葉で話しをしていきます。
自国語で話しながらもそれぞれの言っていることは理解ができる、というもの。
四人のテーブル近くの居た先のポルトガル人女性教授と娘が、後から、その輪の中に加わります。
そして、終盤。
急転直下、船に爆弾が仕掛けられたと、大騒ぎになり・・・・
この展開、前触れも何もなく、急に勃発して、そしてビックリする結末を迎えます。
ロードショウ公開当時に観ていた妻からハナシを聞いていたので、オリヴェイラ監督の意図はおおよそついていましたが、何の前知識もなく、この映画に遭遇すると唖然とするしかないでしょうね。
さて、9.11の事件直後に撮られたということから、オリヴェイラ監督が語るものは明らかです。
長い長い時間をかけて築いてきた文化や文明は、テロの前には、一瞬にして破壊されてしまうというもの。
ただし、この映画はそれだけではありません。
ヨーロッパ・ポルトガル人としての視線を感じます。
前半で象徴的なのは、ギリシア・アテネの宮殿、アテナイ像がトルコ・オスマン帝国により破壊・持ち去られたというもの。
それと、トルコ・イスタンブールのモスク(現在は博物館になっている)が元々は、カトリックの教会だったこと。そのため、そもそもカトリックの聖地エルサレムに向いていた壁へきが、イスラム教の聖地メッカに向けたため歪(いびつ)になったということ。
イスラム世界には、好感情を抱いていないことが読み取れます。
後半で象徴的なのは、フランス語、イタリア語、ギリシア語、英語で会話し、意思疎通ができていたものが、ポルトガル人親子が混じったために、世界共通語の英語で会話せざるを得なくなったこと。
ここでの英語は、アメリカの象徴で、アメリカが世界を席巻・支配してしまったことを、ギリシア語はギリシアでした通じなくなったことを嘆くイレーネ・パパスを通して語られます。
そして、そのイレーネ・パパスは、風にとばされるタンポポの歌を歌います。
タンポポは文化・文明、風はアメリカ。
アメリカにも、好感情を抱いていないことが読み取れます。
そして、終盤。
急転直下、船に爆弾が仕掛けられたと、大騒ぎになり・・・・
ポルトガル親子が巻き添えを食ってしまいます。
その原因となるのが、アメリカ人船長が娘にプレゼントしたアデンの町で買った人形。
アメリカ人船長は、良かれと思ってしたことが、かえって悲劇に繋がってしまう。
そして、ラストカットの驚愕の船長の顔。
そこへ被るイレーネ・パパスは、風にとばされるタンポポの歌。
淡々とした映画ながら、凄まじさを感じるこのような映画を撮るオリヴェイラ監督、ほんとうに恐ろべしぃではありますまいか。
評価は★4つとしておきます。
詳細評価
イメージワード
- 悲しい
- ゴージャス
- パニック
- 恐怖
- 知的
- 絶望的