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草の乱 (2004)

監督
神山征二郎
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3.60 / 評価:20件

明治男の気骨

各俳優の男伊達が光っている昨今稀なる映画。

1873年から1896年ごろにかけて存続した欧羅巴大不況のさなかに発生した1882年のリヨン生糸取引所(同取引所はフランスのみならず、当時欧州最大の生糸取引所のひとつであった)における生糸価格の大暴落の影響により、1882年から1883年にかけて生糸の国内価格の大暴落が発生した。山国秩父では、江戸時代半ば以来、養蚕が盛んだった。農民たちは、石だらけの傾斜地に桑を植え、蚕を飼って糸をとった。 1859(安政6)年に欧羅巴・亜米利加との貿易が始まってからの、日本の最大の輸出品は生糸だった。秩父の農民が紡いだ生糸も横浜に運ばれ、英吉利商人らに高値で買いとられていった。明治に入ってからも、秩父の農民たちは、桑の増産や、養蚕・製糸の為の道具の改良に知恵を絞った。養蚕先進県群馬と接する秩父地方には、温度管理・湿度管理を徹底することで繭の安定した収
穫を図る児玉町・競進社系の「温暖育」などが導入された。また、水力を使った機械製糸工場を創業しようとする人々や、困難ではあるが成功すれば大きな利益が見込める天蚕飼育に挑戦する人々もいた。山国秩父で、斜面の多い大地に根ざした近代産業を如何にして創っていくかが、地域の課題であり、人々は、金融業者から借りた資金を設備投資に投入した。
1881(明治14)年以後大蔵卿に就任した松方正義によるデフレ政策の影響が出始めたのは翌年あたりからだった。軍備を拡大するための間接税の増税と緊縮財政によって、各地の農村は深刻なデフレに見舞われた。その影響によって、生糸の価格は大暴落し、養蚕に賭けていた農民たちの生活は破滅に瀕した。学校費の負担や、国政に関する業務の拡大によって増える町村費が、彼らの負担を重くした。1884(明治17)年10月31日から11月9日にかけて、埼玉・群馬・長野などの民衆数千人が負債の延納、雑税の減少などを求めて武装蜂起した。
「秩父事件は貧しいから起きたのではなく、段々豊かになる時に潰されたところに秩父農民の怒りがある」「自由自治元年」という“年号”は、日本史上、最終期の私年号と考えられている。

 神山監督はいう。「今の日本は時代状況が秩父事件当時とよく似ている。秩父困民党の人たちは、あの時代だったから、刀や槍をもって立ち上がった。でも、今の私たちには選挙権という武器がある」

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