製作者の考えに疑問
- cyborg_she_loves_me さん
- 2017年8月4日 1時41分
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製作者が自分の設定したテーマの意味を自分で捉えちがえていると思います。
この筋立ての勘所は、「未来に起こる悲劇を事前に知ってしまい、しかもそれを変えることが許されないとしたら、どうするか」という問題です。この問題は「恐怖」の対象ではありません。肉親の死が目前に迫っていることを医師から宣告されたような場合に誰もが直面しうる、哲学的な重い問題です。
ところがこの映画は、それを何とかして「ホラー」に仕立てようとして、登場人物におどろおどろしい喋り方をさせたり、それっぽいBGMをつけたり、あれこれ苦心している。
無意識にノートに何か書き続け、鉛筆を取り上げたら壁に爪ででも書き続ける、という出来事の恐ろしさは、強迫観念の恐ろしさであって、未来予知とは何の関係もありません。でも、未来予知だけではぜんぜん怖い話にならないから、そういう要素も付け加えて何とか怖くしようとしている。
しかし、そういうところを無視すれば、未来を知ってしまったらどうなるかとか、同じ瞬間を何度も体験しなおしてそのつど別の選択肢が選べたとしたらどうなるかとかいうことを、なかなか巧みに描いていて、その点では好印象を持ちました。
ただし。
この結末は、捉えようによっては非常に「あぶない」結末です。
だってこれ、自分が生きつづけて選びうるあらゆる選択肢の可能性を実際に体験して知ってみたら、最善の選択肢はじつは自分が死ぬことだった、という話ですもんね?
私が生き続けるためには代わりに家族の誰かが必ず死ななければならない、私以外の家族の全員が生き延びる唯一の道は、代わりに私が犠牲になって死ぬことだ。だから私はここで死ぬべきだし、ここで死ねて幸せだ。
という話に、結果的になってる。「おいおい、ちょっと待て」と言いたい。そんな、自殺を美化するような結末を、私は容認できません。
他のどなたかも書かれてますが、奥さんに「逃げろ」とか「そこを動くな」とかではなく、「今すぐ車を動かせ」と声をかけるのが最善に決まってる。エンジンがかからないというアクシデントにも対応できるよう、サイドブレーキは下ろしておかせればもっといいですね。いざとなったら妻にハンドル切らせながら自分が手で押すこともできる。
とっさの判断ではなく、十二分に考える時間があった上での話ですからね。大学の講師やってるという設定なんだから、そのぐらいのことは考えついて当然です。
それをこの里美講師が考えつかなかったのは、じつは脚本家がそこまで頭が回らなかったから以外ではありえません。もうちょっと知性ある脚本を書いてほしかった、かな。
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