新ジャンル生活ホラー
- morecambeandwise さん
- 2018年11月4日 15時41分
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正直に言います。ぼくは鈴木光司という人は好きではありません。一度NHKのスタジオパークに出ていてしゃべるのを見たことがあるのですが、もうその時点で生理的に受け付けない感じの、「自分大好き」な饒舌ぶり。自分の書くものは何でも面白いぞ~、みたいな自信満々の態度はもう絶対ダメ。
にもかかわらず、結局「奇談」の後に小一時間「ロッテリア」で潰してから、当初の目的の「ダーク・ウォーター」を見ることにしたのです。ジェニファー・コネリーを見るのは、むかしむかし、LDで「ラビリンス」を見て以来かも。懐かしー。
でもそんなこと言っても、いつの間にか彼女はアカデミー賞受賞女優というどうどうたる存在になっていたのですね。ハリウッドのイザベル・アジャーニ的存在といったら言い過ぎでしょうか。アンディ・マクダウェルにもちょっと似てきたような気も。
アバウトな印象ですが、これはホラーはホラーでもちょっと普通のサイコ・スリラーとか、ゴースト物とかとはちょっと違う存在じゃないか、と直感しました。これはどちらかというと今までにあまりなかった「生活ホラー」とも言うべきジャンルではないかと。つまり、進行していく出来事一つ一つは、日常生活のありふれた一コマなのに、それが怖く見えてくる。それはキャラクターの精神状態がそう思わせるような日常的状況に追い込まれていくからなのです。一番怖いのは人間、というのは加害者としても、被害者的としても言えることなのです。
で、これは、ジェニファー演じる離婚調停中の母親が、一人娘をつれて安アパートに(それでも広さだけで言えば十分広い)に越してきたところから始まります。ダンナとの醜い言い争いとか、管理人のおっさんや不動産屋とのやりとりとか、自分がかつて体験した日常のひとこまをかなりフラッシュバックさせてきて、その辺の描き方がうまいなーと思いました。ちなみに管理人のおっさんは、「ユージュアル・サスペクツ」で全然日本人に見えない「Mr. Kobayashi」を演じた人です。
見ながら、普通のホラーとは違って、途中でえもいわれぬ悪寒と居心地の悪さを感じました。いままで映画で感じたことのない感覚です。それは何かというと、つい先だって、自分の部屋が水浸しになったことのPTSDそのものだと言うことに気付きました。朝目が覚めて部屋の半分が水没している光景、結構きてます。
物語としては、ジェニファーが次第に自分がこども時代にいかに母親に愛されなかったか、をフラッシュバックで体験しながら、自分と娘を襲う異変の正体を突き止めようとする、というかすべてを疑いながら疑心暗鬼に陥っていくというのが縦軸です。やや予定調和的ですが、その中で、自分が母親であっていいのか、母親に必要な条件とはなんなのか、いままで何でもダンナに負けないようになりたい、と自分を追い込んでいたことに気付き、「ただ愛すること」のみが最も大事なのだ、と気付くまでの感動的な物語ではあります。演じるジェニファーも、スッピンじゃないにしても、生活臭をさらけ出した体当たりの演技。実際に身の回りに育児真っ最中の主婦がいると、余計に彼女の演技の迫真ぶりがわかります。
途中の彼女の壊れ方から、これは「ポゼッション」みたいに展開していくのかな、と思わせる部分もあるのですが、途中で有能な弁護士が登場したあたりから急転回、一気にエンディングまで見せてくれます。最後のどんでん返しはそう来たか、という感じ。ちなみに弁護士役は「レザボア・ドッグス」「フォー・ルームス」のティム・ロス。
音楽はまたしてもアンジェロ・バダラメンティ。いい仕事してます。映画としてもトータルでの演出力の勝利といってもいいでしょう。序盤で娘のセリアが一人で屋上に上っていくシーンや、こどもの目線になりきってのカメラワークなどが非常に利いています。
トータルで唯一の不満は、というと開演前にかかってたなぜか邦楽のタイアップ曲。Crystal Kayって全然歌がうまくなくって、とくにサビの締めくくり方が不安定な高音だから、聞いていて船酔いしそう。曲調もトータルのイメージと全然違う母性本能丸出しの曲だから、雰囲気もぶち壊しだし、予告編の時から、この曲が流れるたびにどっちらけてたものです。エンドタイトルでかからなかったのはよかったよかった。
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