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姑獲鳥の夏 (2005)

監督
実相寺昭雄
  • みたいムービー 83
  • みたログ 1,565

2.48 / 評価:345件

キャスティングが致命的

  • morecambeandwise さん
  • 2018年11月4日 15時24分
  • 役立ち度 3
    • 総合評価
    • ★★★★★

京極夏彦原作・実相寺昭雄監督の「姑獲鳥の夏」を見た。公開前には京極堂シリーズ第1弾などとずいぶん盛り上げていたが封切りされてからはそれほど話題に上った感じがしないので、もしかして出来が良くないのかも、と思い始めていたところだった。しかし公開の終わりも近づいたので、やや慌てて駆け込み視聴。渋谷東急という、昔東邦生命ビルだった所で見た。当日券でも全席指定、それでも十分にいい席がとれたから、入りはやはり良くないようだ。

で、実際に見ての感想を。原作を読んでその魅力に目覚めた人にとってはちょっとがっかりな結果となったのではないだろうかと思った。

個人的には実相寺監督の演出手法、編集スタイルが大好きで、時々大きなテロップを入れたりする断絶効果が、このかなりペダンティックなストーリーテリングにはよくマッチしていたと思う。一部のフラッシュバックのイメージシーンには安っぽさもあったが、それでも十分に効果を上げていて、これは原作の世界を彷彿とさせるものだったと思う。

何が良くなかったか、というとまず最大の敗因はキャスティングだと思う。実相寺演出はカットの凝り方や構図で切り取るので、それだけで映画の大きな要素はでき上がってしまうように錯覚するのだが、実は俳優がそれに負けてしまうと全体が台無しになる。今回もそんな典型的な例だった。

原作のイメージとの隔たり、というのは監督の責任というよりも役者の台本の読み込みによる部分が大きいのではないかというのが個人的な見解だが、堤真一の京極堂(中禅寺秋彦)はまずスマートすぎ、嬉々として喋りすぎる。もともとが「苦虫をかみつぶしたような表情で」「表に出たがらない」のが持ち味のはずが、ペダントリーに捕らわれすぎてただのおしゃべりになってしまっている。それならおまえ最初から出てって事件を解決しろよ、と言いたくなるほどの出しゃばりぶりである。

さらに輪をかけてまずかったのが関口巽役の永瀬正敏である。こんな美形にいくら眼鏡をかけても、あの不器用で内気でコンプレックスの塊のような関口になるわけがない。演技力でそこをカバーしようとするアプローチ自体が間違っているように思われた。内気な性格ゆえの無口のはずが、ただ渋く決めているだけのように見えてしまってはもう致命的だ。

この二人の冒頭の掛け合いで、ほぼこの映画の失敗は明らかになってしまった。大して問題意識を持っているように感じさせない永瀬の関口が、なぜ京極堂を訪ねたのか、なぜ京極堂はそんなに嬉々として姑獲鳥の由来について説明する義理があるのか、二人の人間関係が全く見えないのである。おそらく堤は時代が近いというだけで金田一耕助と勘違いしていた、に一票入れたいぐらいだ。

阿部寛の榎木津礼二郎は惜しい線まで行っていたかも知れない。がハチャメチャさにも、超人的な活力にも欠ける。そういう意味では宮迫の木場修が一番人物的なオーバーラップ効果はあったように思う。

さらに残念賞は中禅寺敦子役の田中麗奈にも差し上げたい。時代がかった専門用語が頻出するこの役のセリフ回し、しかも雑誌記者役は彼女には荷が重すぎた、というのは簡単な話だが、この京極堂シリーズを通じてこの敦子の果たしている役割はもっと清純さと破天荒さの2面を感じさせて欲しいところだ。ただの若々しい跳ねっ返りでは全然物足りない。物語の導入役としてはそこそこだったが、途中からは壁の花になってしまった。

他にも、京極堂の建物が立派すぎて、古書店としても整然としすぎているのも違和感があったり、クライマックスのいいところで音楽(池辺晋一郎作曲…わざわざ委嘱する必要があったかどうか)がうるさすぎたり、といったプロダクション上の欠点はいくつかあるのだが、それもキャストさえもっとよければ見逃せたポイントに違いない。本当にこれが監督希望のキャスティングだったのだろうか。もっといいプランはいくらでも思いつけたぞ。

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