あらすじ・解説
25歳の夏にラモン・サンペドロ(ハビエル・バルデム)は、事故により首を骨折、寝たきりの生活を送る身体になってしまう。それから26年後、ラモンは自ら人生にピリオドを打つことを決意するが、弁護士フリアと村の女ローザと出会い……。
シネマトゥデイ(外部リンク)
作品レビュー(154件)
- ryo********
4.0点
宮台真司はこれを尊厳死を求める人が出した結論は尊重すべきだが、内側に凝り固まってしまって判断が誤っている可能性があるとしている。主人公の考えは閉ざされた中での偏った判断かもしれないが、28年間あのような状況に置かれて死の2年前に計画していたことを考えるとうかつにそうは思えない。28年間の間になにがあったのか。そのあたりの情報が全くないので、映画でもっと取り上げてほしかった。
- 猫
4.0点
どちらが正しいとか、間違ってるとか、そういう物差しで測りきれないテーマではありますが、全体通してラモンの悟りを開いたような清々しささえ感じさせる死への欲求は痛いほどに伝わってきます。 NHKで放映された「彼女は死を選んだ」というドキュメントも見ましたが、彼女もまた同様でした。 いずれ寝たきりになり、痛みや苦しみを薬でわずかに散らしてごまかし続けながら息だけをして生かされる事に尊厳なんてありはしない、と。 そんなのは生きているといえない、己の意思で尊厳をもって死にたいのだと。 ラモンも同じなのでしょうね。 死んだように生きることと、尊厳を持っているうちに死を選ぶこと、どちらが正しいかなんて裁判なんかで決められるような事ではないはず。 それでも社会は死ぬことを容易には許してくれません。 ラモンのような四肢麻痺の場合は幇助なしでは自殺する事もできない。 ただ、ラモンを取り囲む家族や裁判に向けて協力してくれる人々は皆純粋にラモンを愛し、必要としている事が伝わってきます。 生きてほしいと思っています。 この人たちのために生を選ぶことをしなかったラモンと、一度はラモンと逝く事を決意したと言っておきながら旦那さんの説得があったのでしょうか、フリアは生を選択しました。 対象的に描かれているとても印象的なシーンです。 どちらが幸せなのか、そんなテーマすら安っぽく感じてしまうもっと精神の根底に迫った問題だと思わされました。 話は変わりますが…ラモンを演じているのがハビエル・バルデムと気付くまで数分かかりました汗 ノーカントリーでの冷血無情の殺し屋役がどハマりしていて強烈なインパクトを残していたのでまさかこの柔らかなイメージのラモンが彼!?とびっくりしてしまいました。 名優ですね。 監督さんはあのアザーズも撮られたお方です、今後も期待大のお一人です。 …ラモンの最期、青酸カリはもっと、見ていられないほど苦しみもがくはずなのであそこだけは少し、こんなもんなら…なんて誤解してしまう人が現れないことを祈ります。
- eo1********
2.0点
実話らしいので、見る前の予想通り、考えさせられる作品ではあったけれど、 NHKのドキュメンタリー「彼女は安楽死を選んだ」が、本当のリアルで凄すぎたので、さすがに敵わない感じだった。
- エル・オレンス
5.0点
ネタバレラモンと共に海を飛べる感動。
このレビューにはネタバレが含まれています。 - つとみ
4.0点
自分の命は、自分だけのものなのか?「生きる」って、一体なんだろうか? 実在の人物ラモン・サンペドロ氏の手記を元にしたこの映画は「生きる」ことの対極であり終点でもある「死ぬ」ことへの考察にあふれている。 脊椎損傷で首から下が不随の状態になったまま、26年間生きてきたラモン。決して裕福ではない暮らしだが、父と兄と義理の姉と甥っ子はラモンを支えながら暮らしている。 ユーモアに富み、知性的なラモン。彼は本当に家族の支えなしでは生きていけない。生命活動の殆どが義姉のマヌエラによって賄われている。 彼は心から家族の愛に感謝しているし、家族もまたラモンを「普通の家族」として愛しているのが感じられる。 甥っ子・ハビエルが寝たきりのラモンの前で「お爺ちゃんの運転は役立たずだ」と言ってしまうあたり、家族ならではの無遠慮な辛辣さが、言い方が悪いが面白い。 そう、他人ならこの事を「面白い」と表現することすら憚られる。ラモンの前で、慎重に言葉を選ぶだろう。ラモンが傷つきそうな言葉をを軽く口にしてしまうハビエルには、根底の部分で「家族を無限に愛している」という無自覚さがあるのだ。 言葉によって、人は愛を伝える。でも言葉はいつも自分の抱く愛に対して少なすぎる。種類も、量も、質も、全てが不足している。 体が動かないラモンにとって、言葉だけが自分の愛を伝える手段だ。それはラモンの知性を伝え、個性を伝え、優しさを伝える。 だが、何も言わず強く抱き締めるような愛情表現の代わりはつとまらない。相手の自由を奪うような、暴力的な愛は、ラモンには永遠に届かない「愛」なのだ。 ラモンにとって、「愛を与えること」は「愛に包まれてること」と同じくらい重要だったんじゃないかと思う。 いつも自分を愛してくれる人たちに、同じように「愛してるよ」と伝えたい。でも伝わらない。 何度言葉を重ねても、どんなに感情を込めても、誰かの助けがなければ、相手の歩み寄りがなければ、肌に触れることもない。 愛されているからこそ、愛を返せないことに絶望し、愛とは最も遠い「死」を望む自分に絶望する。 自由に生きられないから惨めなんじゃない。充分に愛せないから惨めなんだ。 ラモンの魂の慟哭は、観ている私の心を揺さぶる。それは長い間自分自身の魂と向き合ってきた者が持つ叫びだからだ。 私たちはこの自由で健康な暮らしが当たり前だと思って生きている。いつまでも続くと思って生きている。 だから、ラモンのような「たまたま不幸にも不自由な人」は特別で、死を求めることを異常だと思う。「あなたが生きている事が尊い」と、そう無垢に信じている。 でも「生きる」ということが「譲れない何か」に準拠しているなら、その「何か」を尊重するのも「愛」ではないだろうか? この映画は、愛する人の魂に寄り添う、その難しさと切なさを教えてくれる。
スタッフ・キャスト
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受賞歴
ヴェネチア国際映画祭第61回
アカデミー賞第77回
ゴールデン・グローブ第62回