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ヴェニスの商人 (2004)

THE MERCHANT OF VENICE/Il MERCANTE DI VENEZIA

監督
マイケル・ラドフォード
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3.58 / 評価:174件

悲劇のシャイロック

 中学生の頃、国語の授業で「ベニスの商人」をテキストにリアリズムについて学んだ。シェイクスピアは16世紀末に大活躍した流行劇作家であり、人間観察や心理描写に卓越した才能を発揮していて、彼が執筆した台詞がそのまま英語の格言や日常の言い回しに使われる。
 授業では特に悪役であるユダヤ商人シャイロックの台詞について注目した。まるでユダヤ人の気持ちを代弁しているかのような台詞だった。しかし、シェイクスピアはあくまで現代でいう「人権意識」なんて確立していない16世紀の人間であり、しかもキリスト教国の保守派文化人である。「民族差別」という概念など無く、当然のようにユダヤ人を卑しい悪と認識していた人物である。なのにユダヤ人の心情を理解していなければ書けない台詞が出てくるのだ。これがシェイクスピアの観察力とリアリズムである。

 実際、原作を読むと私はシャイロックに感情移入してしまう。欧米ではシャイロックの言動に怒った観客がシャイロック役の俳優を思わず撃ち殺してしまい我にかえって自殺した事件があったそうだが、そこまで憎しみと怒りをシャイロックに向ける欧米人の神経が理解できなかった。むしろ主人公の危機管理の無いだらしなさを怒るべきで、友人や恋人たちと組んで最初からシャイロックを陥れようとする魂胆ではないのか、とさえ私は思った。
 やはり私は非欧米人・非キリスト教徒の視点でモノを見る人間なのか。シャイロックに怒りを感じてしまうメンタリティーはキリスト教にどっぷり漬かった欧米人の偏狭な常識や価値観からくるものなのか?

 さてこの映画だが、悪役シャイロック役をアル=パチーノ氏が演じる事が決まった時点で制作者の意図は明白である。現代の国際世論であからさまな民族差別は許されない。ましてや主要な映画産業はユダヤ系の資本が支配しているのだ。原作に忠実でも気合はシャイロックに入れるのは当然の成り行きである。まさに初めて原作を読んだ時の私の視点に近い作品になる。

 アル=パチーノ氏の熱演を前にすれば、もはや拳銃をシャイロックに向けて乱射する観客は現われまい。貸した金は返ってこないばかりか、罪人扱いされ、改宗まで強要される。(余談1)何もかも奪われてしまう、まさにボッタクリ・弾圧である。この言葉に表しようの無い屈辱感と無力感と悲壮感をアル=パチーノ氏は表情だけの演技でも雄弁に語っていた。そして無邪気な主人公たちの狡猾で節操の無さ。どちらが主人公か判らない。

 シェイクスピアが執筆し上演された当時は間違いなくシャイロックは冷酷な悪徳商人であり、主人公たちは辛くも機転で難を逃れるばかりか悪も退治する善玉、まさにキリスト教諸国特有の勧善懲悪ものだった。
 しかし現代のこの映画では、一見すると悪徳商人のように見えるシャイロックが民族差別から必死に耐えようとする悲劇の商人であり、主人公たちはイケ面で善人面だがいい加減で狡猾で無知蒙昧のおめでたい無邪気で罪な人々なのである。悪意は全く無いが、とんでもない残酷なことを喜々として行っている。つまり差別社会の不条理を雄弁に物語っているだけでなく、「善良な市民」である我々の心に巣くう加害者の側面を風刺しているともとれる映画に仕上がっているのだ。
 さらに驚きなのは、原作を殆ど改編していない。シェイクスピアの洞察力が発揮された形となった。これがやはり名作と呼ばれる所以だろう。

(余談1)同じ時代、イスラム圏はオスマン=トルコの時代だが、多数のユダヤ人が殆ど迫害を受けることなく居住していた。イスラム教は偶像崇拝を禁止しているのであって、それ以外の宗教、とりわけ「親戚」であるユダヤ教は禁止していない。布教活動は認めていないが、税を払えば信仰は許容した。またユダヤ教もユダヤ人のための宗教であって、キリスト教のように広く世界に布教する性格のものではないので、両者の利害は一致していた。
 同時代のヨーロッパでは魔女裁判や異端審問はまだ盛んに行われていたのに対し、イスラム圏では寛大な宗教政策を行っていた。現代とはイメージが逆と思う方も多いと思う。

詳細評価

物語
配役
演出
映像
音楽

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