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ゲド戦記 (2006)

TALES FROM EARTHSEA

監督
宮崎吾朗
  • みたいムービー 276
  • みたログ 5,746

2.33 / 評価:8088件

つまらぬ

  • yuki さん
  • 2021年5月21日 8時15分
  • 閲覧数 1377
  • 役立ち度 6
    • 総合評価
    • ★★★★★

世間の悪評ほど信用ならぬものはない。オレだけはこの映画の光るところを見つけてやるぜ!と意気込んで挑んでみたら、これがほんとうにつまらない。ビックリである。

宮崎吾朗は、父親の駿よりも、むしろドラマ重視の高畑勲よりの演出家であるようだ。実写ばりにカットを割り、キャラクターのドラマで物語を動かしていく。クライマックスを見る限り、アクションの方のセンスは全くない。しかし、そのドラマの方も実力が圧倒的に足りていないから問題だ。

彼の映画の問題点は、高畑と比べてテーマの貫き方が全く甘い。軸がブレブレなので観客はすぐに「私は何を見てるんだろう」となる。例えば後作の『アーヤと魔女』は「操る」を名前のルーツに持つアーヤが、魔女一家を”操”っていく、つまり疑似家族内のサクセス・ストーリーが作品のコンセプトであるが、それが最後になるまで分かりづらい。観客がどういうモチベーションで映画を楽しめばいいかという座視が抜けている。

映画が終わったそのときに遡及的に「ああ、この映画はこういう作品だったのか」というのが分かる。おそすぎる。映画のエンディング間近で急にテーマが出現してくる。『ゲド戦記』は、壮大なファンタジーではなくアレンの未成熟な内面を題材にしたミニマムな成長ドラマの作品として作っているのに、そのことが観客に伝わるのはスタッフロールが流れてからだ。
これはミニマムなロード・ムービーですと早々に説明しなければいけないはずが、矢継ぎ早に壮大な世界観ばかりを打ち出してしまい、それで観客も誤解する。

『ゲド戦記』のオープニングが顕著で、二匹の巨大な龍が戦い合う迫力あるシーンから映画が始まるが、当然観客は「そういう映画なんだ」と予感してしまう。けど実際はそうではない。そして落胆する。このように、観客目線での演出のコントロールが全くできていないのが宮崎吾朗の問題点であろう。



脚本以外にもマズイ点は多々ある。まず無駄にカットを割りすぎるくせがあるので、やたら歩きっぱなしだったなという印象が残ってしまう。「歩いてる」という情報は1カットで十分だ。風景なんか、カットを割ってまで同じものをみせる必要ないだろう。レイアウトがヘタだからか、せっかくのジブリ美術も映えないし。
カットを割ってるのに、情報量が増えていないのが問題だ。宮崎駿の映画はちゃんとカットごとに世界が広がっている。
それから、作品の設定理解を外部の原典に丸投げするのはさすがにマズイだろう。どんなクソ映画でもこれだけはやってはいけない。

エンタメ作品を諦めて文芸作品を目指してるのに実力が足らず文芸にも至らなかったオナニー映画、そんな評価だ。

詳細評価

物語
配役
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映像
音楽

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